第2章2-10①命のカウントダウン
14年間、何度も手術や治療を繰り返してきた椿の心臓が、からだが、だんだん疲れてきました。
体調の急変
発達障害の診断がつき、学校に協力してもらうつもりで報告したところ、10月には来年度の学校をどこにするか急いで答えを出さなくてはいけなくなり、椿は自分の居場所探しで苦しむことになります。
それでも自分の決めた道を進んでいこうと、椿らしく過ごせるように、前を向いて療育を探したり、不登校児が集える場所へ見学に行ったり、新しい世界に希望を感じながら忙しく過ごしていました。
そんな矢先の11月頃から少しづつ、椿の体調の変化を感じ始めました。
以前にも増して疲れやすく、寝ている時間も増え、車椅子の使用頻度も増え、自立歩行で少し移動しただけでも呼吸が上がることが増えていきました。
腹水を抜いては補充する延々と続く先の見えない治療と、水分の過剰摂取により体内のバランスが崩れ、その度に衰弱していく様子を一番近くで見てきた私は、3年前に余命宣告を受けたときを思い出していました。
2020年12月
異変!
そうして過ごすなか、12月8日の15時からじわじわと出る鼻血が止まらなくなりました。
椿は、日ごろから鼻血が出るほうではなかったのですが、小指の第二関節くらいまで突っ込んで鼻をほじる癖があったり、最近は特に血痰が頻回に出るようになっていたため、鼻水をかむ回数が多くなっていました。
はじめは、そのせいで鼻血が出たのではないかと様子を見ていたのですが、3時間経ってもじわじわと鼻血は出続け、止まる気配はありませんでした。
その日はちょうど訪問看護の訪問日だったこともあり、一緒に確認してもらいました。
この時の血圧が68、酸素飽和度60%台で、訪問看護師が倉敷中央病院の主治医と相談し、緊急入院することになりました。
鼻血・呼吸苦のため緊急入院
2020年12月8日~12月12日
鼻血・呼吸苦のため緊急入院
グローションカテーテル凝固
鼻血→ケイツー点滴(止血)
Hb6.9→輸血
鼻血はケイツー(止血の点滴)が2回投与され、その日の夜22時頃やっと止まりました。
全体的に血液中が脱水気味になっていたので、アルブミン、グロブリン、輸血を補充したところ、翌日には酸素飽和度も回復し、呼吸もしんどくなくなり、症状の改善がみられました。
でも血液がサラサラになりすぎた鼻血の原因がはっきりせず週末まで様子見入院…。
救急外来でグローションカテーテルに2回目の凝固が見られたので来週入院時に挿入部を変更する運びになりました。
血便・貧血・低血症・低酸素・消化管出血の疑いで入院
2020年12月14日~12月18日入院
血便・貧血・低血症・低酸素
消化管出血の疑いで入院
内視鏡検査→食道あたりに静脈瘤レベル1
中心静脈カテーテル留置→ブロビアックカテーテル挿入
2月15日に予定していた中心静脈カテーテルを留置する処置を受けました。
他の人より皮膚が薄いので、浮き出てこないように強く圧迫されたテープが痛くて怒っていましたが、
ご飯もしっかり食べてくれ一安心。
癒着するまでの1ヶ月くらいは不安定なので抜けないよう注意するように看護師から説明を受けました。
ここ数日続いていた、血便と鼻血の原因は消化器官からの出血ではないかという見解になり、初めての内視鏡検査をしました。
結果は食道あたりにレベル1の小さな静脈瘤(じょうみゃくりゅう)が4つほどできていて、そのうちの1つが潰れた後になっていたのでそこから出血が起こっていたのではないかという報告を受けました。
この頃には便がゆるくなってきて、食後に嘔吐(本人も家族も食べ過ぎかと思っていた)することもあり、尿の回数も減ってきていました。
鼻血も血便も貧血も低酸素も、全部からだの限界が近いサインなのではないかと、はっきり言われなくても分かる。
だけどはっきり言われないと分からない。
だって娘は生きようと沢山の処置を受けて頑張っている。
弱っていく娘を見守りながら「死」が迫っている恐怖を感じていました。
処置を頑張って乗り越えた椿へご褒美に、椿が大好きなハムスターをモチーフに羊毛フェルトで「ななちゃん」を作りました。
それと、家族の想い出作りに…処置が終わり薬で眠る娘の隣で、コロナ禍ではあったけど温泉が大好きだった椿のために温泉旅館の予約をしました。
『心臓病が悪化して、もし数ヶ月で死ぬ事になったらしたいこと』
これは椿が不登校の時期に、家でお留守番している間に自分の手帳に書いたものです。
私と椿の間で共有していました。
この中から少しずつ、できることを実行していこうと写真におさめました。
余命宣告
2020年12月25日~12月27日
定期の週末入院
血液が酸性に傾きバランスが崩れている
→カルチコール・メイロン補充
なんとか1週間を自宅で過ごしていたけど、金曜の朝からまたぐったりし、貧血・低血症・低酸素の症状が出てきていました。
この時は週末の予定入院で、金曜から土曜に点滴補充をしてもらったら土曜には家に帰る予定でした。
いつものように金曜の夜に椿を病室に残し私は一時帰宅し、土曜の午後に椿を迎えに行く予定でした。
でも翌日、迎えに行く前に看護師から電話が入りました。
「今日は帰れそうにない」と。
そして日曜、先生から「少しお話がある」と個室に通され、余命宣告を受けました。
「採血の結果が悪く、血液が酸性に傾きバランスが崩れている。腎機能の数値も低下してきている。
毎日点滴でカルチコールとメイロンを補充してバランスが取れるように見守るしか無い。これ以上の治療はない。補充することが負担になることもある。椿ちゃんとご家族の後悔のないように残された時間をどう過ごすか考えていきましょう。こちらはいかようにも協力できますから。」
と、主治医と担当医と看護師から話がありました。
このとき確認されたのは、院内で過ごしているときにしんどくなった場合の対処の確認でした。
どれも延命治療の確認。
椿はもう十分頑張ったからその時がきたら、苦しくないように安らかに、自然に見送りたいと決めていました。
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2-10 ①命のカウントダウン
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