第2章2-6 ②はじめての余命宣告
フォンタン術後症候群は、フォンタン手術を受けたあとに全身状態が悪くなることで発症するとされていますが、
はっきりした原因は不明です。
根本治療が無い予後不良の病とされています。
症例が少なく、同じ病名でも症状は患者によってそれぞれ違うため先生方も手探りのなか治療が進んでいきました。
「少しでも症状が改善する可能性があるならお願いします。」と尽くせる手は尽くしていただき、
椿は辛い治療にも耐え続け、本当によくがんばりました。
フォンタン術後症候群発症までのふりかえり
椿がフォンタン手術を受けたのは2歳5ヶ月。
フォンタン術後症候群【慢性腎不全・蛋白漏出性胃腸症・鋳型気管支炎】の診断がついたのは10歳11ヶ月のとき。
約7年と6ヶ月の間に徐々にフォンタン術後の循環が悪くなっていったのだと考えられます。
その兆候が現れたのは小学3年生の終わりがけの3月頃から。
この頃から原因不明の微熱37.5度くらいと軽い咳が1週間続き学校を休んで自宅で休養し、
1週間経つと症状は落ち着くので1週間学校へ通い、次の1週間はまた熱微熱と咳が出るため学校を休み、
自宅休養するというサイクルになっていました。
その症状は1週間以上長引くこともなく、悪化することもありませんでした。
そのため主治医とも相談し、風邪のときと同じ対処法で大丈夫とのことで、
近所のかかりつけの小児科あてに紹介状を書いてもらい、連携を取りながら、
風邪薬(たん切りの薬など)を処方してもらったり、悪化しそうなときは早めに抗生剤を点滴で打ってもらったりして過ごしました。
フォンタン術後症候群の疑いが明確になったキッカケは2017年9月頃、
3cmほどの大きな血痰(血混じりの粘液状の痰)が続いて出るようになり、
月に1度通っていた外来で主治医にその血痰の写真をプリントアウトして見せたことでした。
「これは鋳型気管支炎かな…」と言われ、それから少しずつ難治性腹水の兆候も現れはじめました。
フォンタン術後症候群の診断を受けた2017年10月6日は、椿の11歳のお誕生日の前日。
蛋白漏出性胃腸症は不治の病で、予後不良。
発症後半年から5年の生存率は50%と衝撃的な話を主治医から聞きました。
「5年先、生きている確率が半分…
患者によっては半年で悪化して亡くなることもある…
いや、椿は大丈夫。強い子だから。大丈夫。」
そんな私の思いとは裏腹に、それから数か月と経たない間にみるみる進行していった病状。
辛そうになっていく娘のとなりで「それでも生きてほしい」と当たり前のように願い、椿の生命力を信じていました。
症例も少なく患者によって症状もさまざまなため、治療法も確立してはいない病気。
みんなが手探りのなか主治医を中心にチーム全体が椿と病気に真剣に向き合ってくれ
「椿ちゃんが少しでも楽に過ごせるための治療」がはじまりました。
椿の病気 カルテ05
2017.11.13 蛋白漏出性胃腸症の症状を改善するため、根本の循環を少しでも良くしようとカテーテル治療でコイル塞栓術が行われる。
◎コイル塞栓術
→カテーテル治療で、コイルで側副血管を塞ぐ処置。
※側副血管:血液循環を維持するために新たに自然形成される血管の迂回路のこと。
●新たに追加された内服薬:オプスミット→肺動脈圧を下げる
カテーテル治療後、退院するも感染症により体調を崩し緊急入院
難治性腹水により体内の成分バランスが崩れ抵抗力が低下、体内循環が不安定に…
2017.12.12 ステロイドパルス療法の開始
◎ステロイドパルス療法(点滴投与)
ステロイド:副腎皮質ホルモンの1つで体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われているが、副作用も多いため注意が必要な薬。
副作用:抵抗力の低下、骨粗鬆症、糖尿病、消化管潰瘍、血栓症、精神症状心不全など
2017.12.19 血液中の成分の数値が落ち、生命の危機が迫る
2017.12.19
余命宣告を受ける!!
引き続き、ステロイドパルス療法と難治性腹水の排液治療でコントロールする
2018.1.13 再度カテーテル治療でバルーン拡張術とコイル塞栓術が行われる。
◎バルーン拡張術
→カテーテル治療で下大静脈と心房にステントを置き、バルーンで膨らませ通路を作る処置。
2018.2.2 腹部に赤みが出たため腹部エコーで検査をしたところ血栓が見つかる!
◎血栓症
血栓症とは、血液中でできた血栓(血の塊)が血管を閉塞することで、障害を引き起こす病気のこと。血液が流れなくなると、その先の細胞に栄養が届かなくなるため、細胞が壊死して機能障害が起こる。
血栓の治療→ヘパリン(点滴投与)(抗凝固薬点滴)
ヘパリンで血をサラサラにして、血栓を少しずつ溶かしていく治療法。
椿の場合、血液がサラサラになりすぎてもよくないので調整が難しいそうです。
突然の余命宣告!回復までの道のり
2017.12.12椿が11歳の誕生日を迎えたわずか2ヶ月後に突然の余命宣告を受けました。
主治医と看護師に呼ばれて入った個室で
「1ヶ月先、どうなっているかわからない。今のうちに椿ちゃんのしたいことをさせてあげてください。」
と告げられました。
先生方が見守るなか、私はひとり目が腫れるまで泣きました。
このあと病室に戻らなくてはならないので、椿に心配をかけないように何度も泣くのをやめようとしたのですが、
涙はなかなか止まりませんでした。
娘が心臓病だとわかった日から、いつか先に旅立つ日が来るのだろうと頭の片隅にあった思い…
そのときが来たのかと「ついに…」と覚悟するような思いと、
椿がいなくなるはずがないと「まさか」と信じたくない気持ちで揺れていました。
でも、いくら泣いたところで私にできることには限りがある。
ひとしきり泣いて、顔をあげて椿のもとへ帰らないと。
ずっと闘っている椿に私ができることは、そばにいて、全部受け止めて、愛していることを伝えて、
椿が幸せだと感じてくれる時間を少しでも多く持てるよう過ごし、エールを送ることくらい。
余命宣告を受けたあとの生活は、平日は病院で治療を受け、
土曜と日曜は一時退院して家族と過ごせる時間を作るように、
みんなが同じ目標に向けて取り組んでくれました。
週末は椿の食べたいものを食べたり、椿がしたいことを優先して思い出作りをし、家族で過ごせる時間を存分に楽しみました。
余命宣告を受けた後からステロイドパルス療法が行われていましたが、
副作用が強く出てしまい辛く苦しい日々が続きました。
投薬をはじめて間がないころは、食欲増加の傾向が見られ、
椿が食べたいものを美味しそうに食べてくれるので良かったのですが、
後半は眼球の痛みや吐き気が酷く、起き上がることができる日が減っていきました。
辛い治療が続き、気力も体力もなくなっていた椿は生きることに希望が持てず、
「生きててもいいことないし」「どうせがんばっても治らないし」など愚痴を吐くことが増えていました。
主治医の勧めもあり、平日の体調の良い日は治療の合間に院内学級へ通うようにしました。
院内学級で椿と同じように闘病生活を頑張っている同世代の友達と出会うことで、
椿の生きる気力が戻っていくのを感じました。
はじめは緊張していた椿も院内学級に行くことが楽しみに変わり、
普通に子どものように笑って遊んで勉強して、時には料理を作ったり演奏したり、
楽しく過ごせる時間を持つことができました。
親族や友達に連絡を取り病院まで来てもらい、特別に面会が許されました。
しんどいながらもみんなに会うと笑顔になり、生きる元気をもらえました。
みんなの「待ってるよ!」の言葉にたくさん励まされました。
たくさんの支えのなか、なんとか命の危機を乗り越えることができていた椿に、さらなる危機が襲いました。
2018年2月に血栓症になってしまったのです。
血栓が飛んでしまったら脳梗塞や肺塞栓症などのリスクがあり致命傷です。
フォンタン循環が悪く、度重なるカテーテル治療で人工物を入れたこと、
ステロイドパルス療法による副作用、炎症などさまざまな要因が考えられました。
血栓の治療法のペパリン(血液をさらさらにする薬)投与で徐々に血栓を溶かし、
1ヶ月後には血栓を消滅させることに成功しました。
先生方は日々、椿の様子と血液のデータとにらめっこして薬の量を微調整してくださり、
毎日椿に会いに来てお部屋で一緒にカードゲームをして遊んだり、
次退院したら食べたいおいしいものの話をしたり、椿の好きな怖い話を聞いてくれたり、
とても親身に関わってくださいました。
看護師も椿に悪態をつかれても
「ごめんな、看護師さんいやなことばっかりして。つばちゃんいっぱい頑張ってくれとるもんな。ありがとなぁ。」
と椿のしんどさを受けとめて、優しい言葉で包んでくださいました。
そんな医療従事者の方々の協力と親族や友達のたくさんの支えと椿の生命力とがんばりのお陰で、
見事、余命宣告からの回復を成し遂げたのです!
それから、椿と「この先どう過ごしたいか」を相談しました。
このまま点滴治療や腹腔穿刺(ふくくうせんし)を継続的に続けるために入院生活を続け
院内学級に通いながら生活するか、退院して家に帰って普通の学校に通いながら週に1回通院する生活にするか…。
椿の答えに迷いはありませんでした。
「できるだけ外に出て、家族と家で過ごしたい。普通の学校に通いたい!」
そして、小学校生活最後の6年生は、地域の学校に通えるように…と
小学校側と倉敷中央病院側でカンファレンスを開き、体調に無理がないように調整を図りながら、
少しずつ地域の学校に通えるようになっていきました。
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