第3章3-1④病気と共にある生活とは
内服薬との闘い
内服薬は初めての手術後から命が尽きる前日まで毎日欠かさず飲み続けなければなりませんでした。
初めてお薬を飲んだときは何度も嘔吐して、慣れるまではとても大変でした。
内服薬が飲めないと退院することはできません。
子どもが飲みやすいように甘く作られたお薬は、甘いものが苦手な椿にとっては苦痛だったでしょうし、大人でも苦みを感じるようなお薬も飲まなければなりませんでした。
それでも椿にとっては生きるために必要なお薬です。
飲めるようになるまで何度も何度もがんばりました。
水分制限がある時にはお薬で飲む量も計測に含まれるのでなるべく少ない量でお薬を溶かして飲んでいました。
すると少量の水でねった状態のものでも、きちんと飲めるようになりました。
14種類以上もの内服薬を飲まなければならない日もありました。
薬を飲むことで気持ち悪くなったりすることもありました。
それを緩和させるためにまた薬を飲むような日々でした。
でも、それらを飲み続けなければここまで生きてこられなかったのです。
最後の1年間は特に内服薬の量が増えていき、数の多さにうんざりして、「飲んでも治らんし!」と、飲んだふりをしてかくすことが多くありました。
私や看護師と、お薬を飲んだ飲んでないでよくケンカになりました。
最終的には薬を飲んだかどうかあいまいなことが増え、自分の体を守ることをやめてしまったから病状が悪化したのか、きちんと管理して内服できていればもう少しがんばれたのか、もう椿の体が限界だったのか…わかりませんが…。
治療前後のつらい絶飲食!救世主は男梅粒
手術や治療、検査の前には絶食、絶飲をしなければなりません。
椿はこういった時間を赤ちゃんのころから幾度となく耐えて過ごしてきました。
小学5年生の頃から難治性腹水の治療で、週に1度のペースで鎮静(ちんせい)をかけることが多くなり、治療前は絶飲食で飲み物を飲んだり食べ物を食べることを禁止される時間が増えました。
はじめのころは、朝起きてから飲まず食わずに耐えて、朝一で治療してもらえるように手配してもらっていました。
でも、毎回予定していた時間にすんなり治療が受けられるわけではありませんでした。
他の急患の治療がずれ込んだり、腹水がたまるペースが早すぎたり、ドレーンの挿入部の不具合で管の入れ替えなどの急遽の治療があったりして、絶飲食の時間が延長されたり、心の準備もないまま突然飲食ストップがかかることもありました。
日頃から水分制限をしていたことに加えて、治療前の絶飲食にだんだんとストレスがたまっていき、イライラして泣いたり怒ったりすることも増えました。
あるとき、耐えかねて椿が自分で主治医に相談すると「あめやガムくらいなら水分にならないし、固形物でもないから食べてもいいよ」と教えてくれました。
『じゃあ、男梅粒は!?』と確認したところ「これは大丈夫なことにしよう!」と言ってくれ、大好きな男梅粒だけは治療前でも食べても良いと許可をもらえました。
男梅粒は椿にとって治療を乗り切るための大事な相棒になりました。
病棟内でも『男梅粒=つばきちゃん』で通っていました。
腹水を抜く腹腔穿刺(ふくくうせんし)の治療は多いときで週に2回することもありました。
管が抜けてしまったり、管の位置が悪く激痛があり、入れ替えるために2日続けて行われることもありました。
その度に鎮静剤を打ちました。
本当は局所麻酔でできなくもない治療ですが、腹部を何度も刺される恐怖心を小学5年生の子が耐えられるはずもなく、本人が先生に「先生!しっかり鎮静かけてからしてよ!」「椿がちゃんと寝てからさしてよ!」と、念を押してお願いして鎮静をかけてもらっていました。
鎮静剤を打った後は錯乱状態で、毎回処置室から「いたいっつってんでしょ!」「やめろや!」と普段は使わない威圧的な口調で威嚇(いかく)している椿の声が漏れていました。
はじめのうちは良く効いていた鎮静剤も、回数を重ねるとだんだん体が慣れてくるようで、目が覚める時間がどんどん早くなっていきました。
次第に、椿にも変化があらわれるようになりました。
鎮静をかけられた時の開放感みたいなものを感じだしたようで「早く処置してほしい」と平気で言うようになっていきました。
恐怖心よりも「我慢せず水分を摂って鎮静をかけてもらって治療(腹水を抜いてもらって楽になる)をする方がいい」と間違った認識をはじめた頃に、チューブを腹部に固定する話になりました。
治療がうまくいき、不安定だったものが安定に変わりました。
それまで1年間以上も繰り返されていた鎮静をかけて腹水を抜く治療をしなくてよくなりました。
もちろん体の負担も減りました。本来なら喜ぶところですが、1年以上も鎮静を続けたことで、椿の感覚はマヒしてしまい1週間くらい経つと我慢できずイライラした様子で「鎮静かけてよ!」と自ら先生にねだるほどになっていました。
このとき、初めて薬の恐怖を感じました。
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3-1 ①病気と共にある生活とは-1
④病気と共にある生活とは-4