第3章3-1②病気と共にある生活とは
はじめての子育て
第一子を授かり、出産し、その子が心臓病であることを生後8日に初めて知りました。
それまでお腹のなかにいる間も、元気な産声をあげて産まれてきたときも、この子は健康児だと思って一切疑うことはありませんでした。
自分のもとに「病気を抱えた子どもが生まれてくる」とは考えてもいなかったのです。
身近に「そういう人」はいなかったし、身内も自分も椿の父親も健康なので、健康児が産まれてくるものだと決めつけていました。
初産=初めての育児
でも、周囲に育児の相談ができる人、協力をしてもらえる人はいませんでした。
それに輪をかけて初めて知る病気のこと。
「病気を抱えた子ども」と「それを支える家族」についてなんの情報も、知識もなくスタートした初めての難病児の子育て。
正直知識は追いつかず、それよりも「今日1日を無事に生きていられること」に一生懸命で、どの瞬間の椿の成長も見逃したくないと強く思いました。
病気の知識は家族の努力・治療は先生にお任せ
子どもが病気になってはじめて知る病気のこと。
何か診断がついたとき、特別な処置をする前、手術をする前には主治医がわかりやすいように図やレントゲン、説明用の用紙に手描きで記入してくれるものを用いながら説明してくれるのですが、全然頭に入ってこないし、すぐには覚えられないものです。
病名を聞いても初めて耳にする言葉ばかりで、それを聞き取ることすら難しく、病名を覚えようと思うより、その都度娘の身体の心配が先立って心が動揺してしまうものです。
いつも自分の平常心を保ちながら、なんとなく理解するのが精一杯でした。
自宅や病室に帰ってから、うろ覚えの病名をネット検索して病気について勉強するようにしていました。
それでも、それを知ったところで家族にできることは娘を育て、サポートすることだけ。
病気について、注意しなければいけないことや取り組んだ方がいいことを頭において生活するようにしていましたが、根本にある病気は治してあげることもできず、病院の先生方にお任せする他ないのが事実です。
なにより、検査、治療、手術、薬の内服、水分制限など、がんばらなければならないのは患者である子ども本人です。
第2章で説明した椿の病気のカルテを見てもらっただけではわからない、娘のがんばりがたくさんありました。
いやなものはいや!本人のための治療は本人の意志のもと
生後2ヶ月くらいの頃から低酸素のため酸素療法がはじまり、出かけるときも1つ3kgほどある酸素ボンベをベビーカーの下のネットに乗せて移動し、朝も昼も夜も、お風呂の時以外ずっと酸素吸入をしていました。
椿は酸素吸入が嫌いでした。
酸素吸入のときに使われる吸入装置は4種類あります。
①鼻カニューレ
②酸素マスク
③ベンチュリーマスク
④リザーバ・バッグ付きマスク
椿は①の鼻カニューレを使用していました。
その当時は、酸素吸入装置が4種類もあることを知らず、支給された鼻カニューレを工夫しながら使用していました。
会話や食事ができるという利点などから、基本的には在宅酸素には鼻カニューレを使用するものだと思われます。
酸素吸入の管の先は、確実に酸素を体内に送り込めるように鼻の穴に差し込むようになっています。椿はそれが苦手でした。
成長するにつれ、鼻の中に管が入ることや、酸素が出てくることをいやがり、「つばき、しゅー!いや!」と言って、カニューレをひっぱって取ってしまうようになりました。
その度に何度も頬にテープを貼り直しました。
何ヶ月も続いてくると頬がテープでかぶれて真っ赤になっていきました。看護師に相談して肌に優しいテープを何種類も試したけど、使いはじめのころは良くても、続けて貼っているとやっぱり肌荒れがひどくなりました。
また、カニューレの長さには限界があります。延長カニューレを繋げて生活していましたが、2歳頃になると行動範囲が広がってきたことでどこかにひっかかってしまうことが増えました。
すると、ひっぱられて痛い。泣く。取る。
そりゃ、嫌になりますよね。
酸素を送るカニューレをつけることで本人の心とお肌のストレスが大きくなっていき、親子間でも「つけて!」「いやだ!」のケンカが多くなり、思いきって主治医に相談しました。
主治医からは酸素療法を続ける意味を改めて教えて頂いた上で「ご家族におまかせします。」と言われました。
酸素療法を継続する意味として、継続してつけることで酸素飽和度が安定すること、細い血管が育つかもしれないこと。
椿は酸素飽和度が70〜90%台でしたが、酸素療法をしていないと息苦しくてしんどくなるわけではありませんでした。
椿とも相談して、心の安定を優先することにしました。
酸素を常時使用しないかわりに、主治医と決まりごとを作りました。
「酸素飽和度が低くなったり、しんどくなったら酸素療法をする・夜間はなるべくつけること」を約束をしました。
治療が頻繁になってきた小学5年生のころは鎮静剤を使うため、眠りが深くなり、呼吸も浅くなることで酸素飽和度が60%台まで下がりました。
「鼻チューブはいや!」と、断固たる意志をみせる椿に対して、先生方が「椿ちゃん、これならどうかな?」とすすめてくれたのはマスクタイプのものでした。
これを口元へ置いて酸素吸入する方法で乗り越えました。
ほかにも、人工呼吸器を使った術後はすぐに飲食ができないため経鼻経管栄養チューブから栄養を摂るのですが、そのチューブもひどく嫌がり抜いてしまうことが多々ありました。
その度に入れ替えをして、鼻の粘膜が傷ついて血を流すこともありました。
テープかぶれの問題は、もともと椿の皮膚が薄いため、顔だけにかぎらず全身かぶれやすく、逃れることが難しい問題でした。
特にカテーテル検査の後や手術の後に、止血するために留められるテープは、通常のものよりも貼り付きがいいものを使用するため、剥がす際は薄皮が一緒に剥がれてしまうこともあり、処置後のそういった弊害とも常に付き合わなければなりませんでした。
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