第3章3-1①病気と共にある生活とは
難病を抱えて生きる
難病児と共に生活をする
「病気をもって産まれてくる」ということは、本人にとっても家族にとっても大きな課題です。
どのように過ごすか、どのように乗り越えるか…たとえ同じ病気であっても家族それぞれの形になっていくと思います。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
「乗り越えられるお母さんのところに産まれてくる」
難病児を育てていると、こういう言葉を言われることがあります。
実際はそんな器量も知識も余裕もありません。
ただ、自分の元に産まれてきてくれた命をまもりたいという思いを持って、先の見えない道を手探りで進んでいくしかなくて…
そうしているうちに、懸命に生きようとしている小さな子どもから生命力を感じ「母として強く生きなければ」と決意を抱き、子どものために一生懸命動いてきただけです。
母だって「初めて」のことばかりで余裕なんてありません。
ただただ必死なのです。
一緒に歩んで、一緒に学んで、一緒に強く生きてきたのです。
子どもを育てるということは、たくさんの関わりのなかで成り立っていくものだと思います。
それは、健常児でも、難病児でも、障がい児でも同じことです。
だけど、実際この14年間、難病を抱えた娘と過ごしてみて「生きづらさ」を感じる瞬間がありました。
病気、家庭、医療、社会、教育…それぞれの視点から、それぞれに困難がありました。
病気でしんどいこと、大変なこともあるからこそ、どこにいても「幸せ」だと笑って過ごせる環境を用意してあげたかった。
「なんで自分だけ…」
「どうせ病気だから…」
「こんな体いらない!」
難病を抱えた子どもがそんなことを思わなくていい環境にしてあげたかった。
でも私にはできませんでした。
子どもが自立できるまでは、母と子どもは運命共同体だと思います。
母の知識や行動力、判断力などがいたらなかったために、困難はさらに過酷な未来を巻き起こし、娘をがんばらせ過ぎたのではないかと…いまだに後悔する点もあります。
助けの手を求めることもできず、不器用に生きるしかなかった私たち。
だからこそ、これから先の未来で私たちと同じような課題を抱えた人たちが、救われる世の中であってほしい、そういう家族がどこかで埋もれてしまわないような社会づくりをしてほしいと願います。
自分たちがそのつど悩んで選んできた道は色々あったけど間違っていなかった、と自信を持って言えます。
だけど苦労も多かった。
きっと「正しいこと」ばかりじゃなかった。
いつだって必死だった。
いつも「正解」を求めて、先の見えない真っ暗なトンネルをさまよっているような感覚だった。
「大丈夫だよ」「間違ってないよ」って誰かに肯定してほしかった。
光のある方へ手を引いてほしかった。導いてほしかった。
…希望が見えそうな道へ繋がったときには、もう遅かった。
「人生において手遅れなんてない。気がついた時にやり直せばいい」
そう思って生きてきたけど、間に合わないこともある。
病気は待ってはくれなくて、どんどん蝕まれていっても、タイムリミットが迫っていても、見失うこともある。
「後悔のない人生」なんてないのかもしないけれど、後悔ばかりではなかったことも忘れないでいたい。
難病を抱えた娘と闘った日々があったから感じることができた感情、知ることのできた世界が確かにそこにあったのです。
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