第2章2-11④椿、旅立ちの日
旅立ちの準備から旅立ちの日まで。
心は正常ではいられないけど、もう2度とこない、とっても貴重な時間。
訪問部門のスタッフが居てくれたからできたこと、穏やかに流れた時間がありました。
エンゼルケア
診断書を書き終え、訪問診療の先生が主治医を病院まで送ってくれることになりました。
朝早くから呼び出しにすぐ駆けつけてくれ、病院から飛び出して妹の車での移動、椿の最期の瞬間も一緒に過ごしてくれ、どんなに心強かったことか。
先生が一緒に居てくれたから、椿は安心して家に帰ることができました。
朝から昼までずっと私達に時間を割いてくださった主治医に感謝を伝え送り出しました。
その後、訪問看護師がもう1名到着し、一緒に椿を綺麗にしました。
(この行為を『エンゼルケア』と呼ぶことを後に届いた明細書に書かれていて知りました。)
まずはお風呂に入れてあげました。
36度くらいのぬるめのお湯を浴槽に張り、訪問看護師が足を湯船に浸かりながら椿の頭と足を別々に持って支えてくれている間に、主人と息子と一緒にせっけんでからだを洗ってあげました。
髪の毛もきれいに洗い、トリートメントまできちんとしました。
お風呂から出て、からだをふいて、みんなに髪の毛を乾かしてもらいました。
お気に入りのシャツとパンツを着せて、服は私が椿のために作ったもこもこのパステルパープルのワンピースを着せてあげました。
その上に、クリスマスにリクエストしておばあちゃんに買ってもらった水色のコートを着せました。
「まだ、少ししか着ていないからあっちでたくさん自慢してね。」と。
最後にお化粧をしてあげました。エンゼルケア用の特別なものらしいです。
訪問看護師が「お化粧なんてしたことなかったでしょ。お母さんしてあげたら?」とキットを渡してくれ、手順を聞きながら初めてのお化粧をしてあげました。とっても可愛くなりました。
「口紅は乾くから定期的に塗り直してあげてね」と教えてもらい、最後までみんなで順番に塗り直しました。
エンゼルケアが全部終わってから、椿の細くてサラサラな髪の毛を少しずつ切って残しました。
椿の卒業式
終わった頃に主治医を病院まで送ってくれた訪問診療の先生が、明るい挨拶とともに戻って来て「よし!これから椿ちゃんの卒業式だね!」と言いました。
椿を助けてくれていた、腹水を抜くための管や点滴を補充するためのルートやペースメーカーを取り出す処置をしました。
そのまま体内に残すこともできたけど、「もうしんどくないから必要ないよね。」と主人と相談して除去してもらうことにしました。
取り出す処置は訪問診療の先生と訪問看護師がしてくれて、私と主人で椿の最期の頑張りを見守りました。
「よし!じゃあ、椿ちゃんと写真を撮りましょう!」と訪問診療の先生が率先してカメラを持って撮影してくれました。
その時到着していた親族で椿を囲って笑顔で写真を撮りました。
家族4人でも撮ってもらいました。
最期にお世話をしてくれた訪問診療の先生と訪問看護師と椿の3人で写真を撮りました。
不思議なことにお風呂上がりの時より、椿が笑顔になったように見えました。
いつもカメラを向けるといい笑顔をしてくれた椿。学校の集合写真でも「ほら!椿さんみたいに良い笑顔してよ!」と先生からお手本に選んでもらうほど、笑顔が素敵だった椿。きっと最期もとびきりの笑顔をしてくれたんだね。
訪問チームにしてもらうことはここまでです。
最後に家に残ってしまった医療品や、もう使うことのないおむつなどを持って帰ってもらいました。
訪問薬局の方が残っていた内服薬のモルヒネをトイレに流して処分してくれました。
訪問チームは「また来ますね。」と言って帰られました。
「ありごとうございました!」と深々と頭を下げて見送りました。
訪問チームの明るさがなかったらきっとこんなに気持ちよく笑顔で過ごせていなかったし、写真だって撮っていなかったと思う。
先生や訪問看護師がずっと笑顔で居てくれて明るい声を出してくれたから、椿の卒業式を泣き笑いしながら最期まできちんとすることができたのだと感謝しました。
そのあとは葬儀の準備が慌ただしく進んでいきました。
主人の親族が中心になって手配してくれてとても助かりました。
葬儀屋さんもすぐ来てくれて、お通夜、葬儀、お寺さん、決め事はたくさんありました。
その間、おばあちゃん(椿の実父の母)がずっと椿のそばに付いていてくれて、ドライアイスで更に冷えていく椿の手が冷えないようにずっと握っていてくれました。
お通夜、葬儀の時間が決まり、準備もあるので親族は一旦帰ってもらいました。
それぞれのお別れ
夕方、学校を終えた椿の親友が逢いに来てくれました。
お母さんは私を抱きしめてくれました。
「次の約束、もっと早くすれば良かったね。〇〇(椿の親友の名前)は早く行きたいって言ってたのよ。間に合わなくてごめんね。」と言ってくれました。
それまでバタバタとしていて止まっていた涙がまた溢れました。
しばらく親友と椿とふたりきりで過ごしてもらいました。
この子とは同じ分譲地のすぐ近所で過ごし、ご近所周り家族ぐるみで仲良くしてもらったうちで唯一の女の子の同級生。
5歳くらいから良い距離感で仲良くて、お互いずっと心の奥にいる大切な存在という感じ。
お土産は必ず椿の分を買ってきてくれるし、離れてからも手紙のやり取りをしたりお泊りをしたり、ショッピングモールでデートしたり。
椿の病気を理解して、支えながらも普通の同い年の女の子として接してくれていた子。
最期にどんな時間を過ごせたのかな。
「明日、お通夜に行くね。」と言って帰って行きました。
みんなが帰ってから、家で過ごす最期の家族4人の時間。
和室に布団を敷き、みんなで寝ることにしました。
息子は疲れていたので、すぐに眠りにつきました。
主人とたくさん椿の話をしました。
椿がお世話になった方、私の友人、コロナ禍だから思い付く最小限の人にだけお通夜に来てもらえるよう、声をかけました。
結局一睡も出来ませんでした。
椿の冷たくなってしまった手を握りました。
まだ柔らかいほっぺを何度も触りました。
椿のスマホに入っている音楽を、ずっとかけて聴いていました。
もう眼を開けてくれない愛しい我が子との残された時間は止まってはくれませんでした。
あっという間に朝を迎えました。
私の親友が朝から来てくれて、「遅くなってごめん。」と抱きしめてくれました。
息子のお世話をしてくれ、棺に入れるものを一緒に準備してくれました。
すぐに葬儀屋さんが来て、会場に向かう事になりました。
息子と私で椿の隣に座り一緒に葬儀場へ向かいました。
最期に家で家族の時間をくれてありがとう。
頑張って帰ってきてくれてありがとう。
最期までママのわがままを聴いてくれてありがとう。
お通夜前にはたくさんの人が椿に会いに来てくれました。
お通夜が終わっても夜遅くまで途絶えることなく会いに来てくれて、にぎやかに過ごしました。
辛気臭くない、なんとも椿らしい雰囲気でお通夜が終わりました。
葬儀場で過ごす最期の一夜。
明日にはもう見送らなくてはならない。
少しでもそばにいたい。
起きて目に焼き付けておきたい。
でも昨日から一睡もしていない私を心配して「明日が本番なんじゃから、寝とき」と言ってくれ、椿がひとりにならないよう、おばあちゃん(主人のお母さん)が一晩寝ずに付き添ってくれました。
だから私は安心して椿の横で、息子を寝かしつけながら少し眠ることができました。
最期のことば
そして迎えた葬儀の日。良く晴れたいいお天気の日でした。
家族葬だったのですが、椿の中学校の生徒がたくさん来てくれました。
椿も喜んでいたと思います。
葬儀の最後に喪主からの挨拶で主人が挨拶をした後、私も時間をもらいました。
椿がどんな想いで生きていたのか、生きていきたかったのかを知ってほしくて、椿が参観日で発表するはずだった「14歳の手紙」を自宅で読んでくれた時の動画を、マイクに当ててみんなに聴いてもらいました。
それが椿の『最期のことば』として届くように。
みんなに見送られ、椿は旅立ちました。
お骨になった椿と葬儀場に戻り、親族だけで初七日の供養を済ませるためお経を読んでもらいました。
その最中、祭壇を見つめると、さっきまでそこにあったのに、もうそこに無くなってしまった椿のからだを実感しました。
私は椿を想い、声を出し泣き崩れました。
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④椿、旅立ちの日