第2章2-11②最期の14日間-2
余命宣告を受けてから1ヶ月。
なんとか一緒に過ごせた1ヶ月。
でも、やっぱりもうすぐお別れなの…?
2月1日 ベッドからの転落
訪問チームの訪問日。
昼間に訪問診療が来てくれて眠る椿のかたわらでみんな話をしました。
おしゃべりが大好きな椿は聞き耳を立てて…もう会話には入ってきませんでした。
訪問診療の先生に、椿が病院に行きたがっていることも相談しましたが、「今病院に行くと家に帰って来れなくなる可能性があるし、移動も負担になるから慎重に考えましょう。しんどいようならモルヒネの量を少し増やしてみましょう」という話になりました。
夜、椿をベッドへ連れていき、椿が眠るまで家族みんなで過ごしました。
椿のリクエストで主人が椿の大好きな怖い話を読んで聴かせました。
「今日は一人で寝たい」と言い、みんなに見守られながら満足したように眠りにつきました。
夜中、モルヒネを内服して眠った椿がいつも連絡してくる時間に連絡してこないので、気になって部屋に行ってみると、
2:50頃ベッドから転落している椿を発見しました。
いつもはスマホをナースコール代わりにして知らせてくれていたけど、この日に限って充電が切れていたようで、自分で排便したおむつを処理しようとして転落した様子。
投げ出されたおむつと畳についた便。
便の付いた衣類を脱ごうとしたのか半裸で意識朦朧ともがいてました。
背中と脚と腕とベッドの手すりにこすったような痣が痛々しくでき、声にならない声を漏らし、焦点は定まらず、不定期に力の入る手。
またモルヒネの怖さを見ました。
椿を守ってやれない自分に情けなくなりながら、「椿、ごめんね。痛かったね。自分できれいにしようとしたの?えらかったね。きれいにしようね。」と涙をぬぐいながら、椿をきれいに拭き上げ、おむつをはかせ服を着せ、抱きしめてベッドに寝かせました。
部屋を片付けて、睡眠薬を飲ませようとお茶を飲ませると、自分で含んだお茶をすぐに吐き出しました。
もう一度チャレンジしたら飲んでくれて、しばらくしてすやすやと眠りにつきました。
2日 「さみしくなるな…」
節分の日。モルヒネの量が増えたこともあり、ずっと眠っている椿。
もしかしたらこのまま目を開けないのではないかと心配で、深夜のこともあり、怖くて、椿から離れられませんでした。
「大丈夫?」と声をかけても「大丈夫じゃない」とやっと返ってくる言葉。
訪問診療の先生に電話相談すると、夕方に訪問看護師が来てくれることになりました。
夕方、診てもらうと、あざの程度は問題ないし、本人はモルヒネが効いているから痛みは感じないから大丈夫と言われました。
「さみしくなるなぁ」と言った訪問看護師の言葉でもう長くないのだとわかりました。
椿は限界が近いのだとわかっているけど…まだ先のような気がして実感が湧いてこない。
訪問看護師が帰った後、みんなそろって椿を中心に置いて、豆まきをして、鬼退治して福を呼びました。
食べ物の話が大好きで、食べることで幸せを噛みしめていた椿が、この日はついに一口もご飯を食べませんでした。
夜中、心配で何度も椿を確認すると、うつ伏せになって丸まっていました。
赤ちゃんのころから、しんどい時によくこの体位になっていました。
「大丈夫?」と聞くとか細い声で「手が痛い」と教えてくれました。
なんでもいい。
応えてくれるその言葉が、声が聞けたことが嬉しかった。
下敷きになってしびれている手と脚をさすりながら伸ばして布団の中にしまうのですが、しばらくすると、またうつ伏せになっていました。
その姿を見る度にもうしんどいのだと伝わってきました。
3日 最後の晩餐
様子を見に来てくれる約束をしていた訪問看護師が午前中に来てくれて、訪問診療の先生に電話で椿の様子を報告、相談してくれました。
その場で電話を代わり「今の状態から言うと今週末まで保つかどうか…家族としてはどうしたいですか?」と聞かれました。
椿は31日に自分の口で「病院に行きたい」と言っていました。
それを叶えず、このまま家にいては後悔すると思い「椿の希望通り一度病院に行って、家に帰って来たいです!」と伝えました。
その後訪問看護師と訪問診療で話し合い「救急車で病院に行きましょう!」という結論に至りました。
救急車の手配は訪問看護師がテキパキとしてくれて本当に助かりました。
私は急いで椿と自分の入院の支度をしました。
すぐに救急車が到着し、救急隊員との引き継ぎも訪問看護師がしてくれたので、安心して救急車に乗り込むことができました。
椿は先に救急隊員に抱っこされて乗り込んでいて、不安げにキョロキョロと眼を動かしていました。
すると救急隊員が優しく「大丈夫だよ、お母さんいるからね」と声をかけてくださり、それを聞いた椿は安心したようにうなずき眼を閉じました。
道中に救急隊員の質問に答えましたが、何を聞かれたのか、ちゃんと答えることができたのか正直覚えていません。
『もう一度、無事に、家に帰ってくるんだ!』と思っているのに、『もう帰って来れないのではないか』と不安にかられ、今日までの椿との闘病生活を思い出していました。
何度も溢れてくる涙を椿に見せないように「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせて、眠る椿を見つめました。
病院に着いたら主治医の先生がすぐに来てくれて「つばちゃん、大丈夫だからね。病棟行こうね。」と声をかけてくれ椿も安心したようにうなずきました。
いつもの病院のいつもの病棟の何度も泊まった病室に着くと私もやっと安心しました。
いつものようにアルブミンとグロブリンだけ補充してもらいました。
椿はずっと眠っていて声をかけるとうなずいて反応してくれ、たまにお茶を飲んで過ごしました。
16時頃訪問診療の先生も来てくれて、主治医と看護師と訪問診療の先生と私で椿のことについて話していると、椿が急にパチッと目を開けて「お腹空いた」と言いました。
このまま衰弱してしまうのかと思っていたので病室にいたみんながビックリして「すごいね!椿ちゃん!」と喜びました。
「何、食べたい?」と聞くと「明太子とごはん」と言いました。
『わかった!買ってくるね!』と言った後少しだけ先生とさっきの続きの話をしていると「まだ?」とすかさず催促してくる椿に先生が「さすが!椿ちゃん!健在だね!」と言い、また病室に笑い声が溢れました。
椿を先生たちに任せ、急いで近くのセブンイレブンに辛子明太子を買いに行き、病院の売店で白ごはんの入ったお弁当を買って病室に戻りました。
スプーンですくった小さな一口分を、少し震える手で椿の小さな口に運ぶと、嬉しそうに明太子ご飯を4口、お弁当に入っていた卵焼きをひと口、味わって食べました。
「スープは?」と言うので、家から持ってきていた椿の好きなかぼちゃのポタージュスープを作ると、熱がりながら2口すすり、満足気に微笑み眠りにつきました。
これが椿の最期の食事になりました。
実は、食べることが大好きな椿は日頃から「最後の晩餐何食べたい!?」という話をたまにしていました。
自分から聞いてきたくせに人の話を聞く前に『椿はね!ステーキ!フォアグラの乗ったやつ!』と暴走気味に話してくれました。
私が「ママは普通がいいな。いつも食べるような食事がいい。」と言うと『えー!最後なんよ!そんなんでいいん!?』と言っていたのに、椿こそ、最後に食べたがったのは普段の食事だったね。
夜10時頃、椿の大好物の「男梅粒食べる?」と聞くとうなずいたので、一粒口の中に入れると幸せそうに微笑んで食べました。
これが最期の男梅粒になりました。
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2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1
②最期の14日間-2