はじめまして、井上みやびです
- 娘の病気
- ぱらママとの出会い
- 娘の旅立ちとそれから
娘の病気
はじめまして。井上みやびと申します。
Twitter harukaze@HarukazeMi
Instagram mi.harukaze
私の娘は先天性心疾患で無脾症候群(むひしょうこうぐん)【指定難病】。
合併症で、単心室【指定難病】、共通房室弁、総肺静脈還流異常、肺動脈狭窄の医療的ケア児でした。
ぱらママとの出会い
14年間続いた闘病生活により、娘の身体はかなり疲れていました。
そして、2021年12月27日椿が14歳の冬、2度目の余命宣告を受けました。
私たち家族は椿の残された人生が少しでも楽しいものであるように、後悔がないように、娘が望むことを叶えてやろうと必死でした。
でも、この頃はコロナが猛威を奮っていて、自粛ばかりでできないことが多くありました。
娘が望んだことの一つに『カラオケに行きたい』という願いがありました。幼児の頃からカラオケが大好きだった娘の願いを叶えてやりたいと思いましたが、残念なことに、カラオケもコロナ禍の影響で自粛モードでした。
免疫力も低下し、加えて無脾症候群(生まれつき脾臓がないため感染に弱い病気)だった娘がコロナにかかってしまったら最期の瞬間、一緒に過ごすことが出来なくなる可能性がありました。
どうしてやればいいだろう…と悩んだ私はTwitterで問いかけてみることにしました。
そんな私の問いかけに返してくれたのがぱらママ代表の藤井さんでした。
「岡山市内でカラオケ設備のあるお店を貸し切れると思います。事前の下見も可能です。インスタを拝見し、何か力になれればと思っている次第です。」
と返信してくれたのです。
温かく差し伸べられた手に感動しました。それと同時にTwitterを始めたばかりの私は少し戸惑いもありました。
ネット上のやり取りをどこまで信頼できるのか…と失礼ながらそんなことを思い、その時はお断りしました。
でも、この時の出会いがあったから、今に繋がっています。あの時声をかけてくださったことを今でもとても感謝しています。
娘の旅立ちとそれから
その後、娘は約1ヶ月間、最期の人生を生き切り、14歳と3ヶ月の人生に幕を降ろしました。
〝心臓病です〟と告知されたあの日から娘が先に旅立つ日がくるとわかっていたはずでした。覚悟していると思っていても、実際は覚悟なんて出来ていませんでした。
娘が旅立った後、〝娘を幸せにしてやれただろうか〟と後悔の念が押し寄せました。その後悔の念は娘が私に残してくれた愛言葉のお陰で〝娘の頑張りを多くの方に知ってもらいたい〟という信念に変わりました。
娘がどんな病気で、どんな治療をして、どんな風に過ごして、どう思って生きてきたのか。私たち家族がどんな風に過ごし、何に生きづらさを感じたのか。
『病気と共に生きる』ことでどういう生活になるのか、不器用に生きた私たちのことを知ってもらう事で、私たちが生きづらさを感じた環境が、未来の役に立つことがあるのではないか、誰かの道標になれるのではないかと思えたのです。
「椿ちゃんの人生を知りたい、読んでみたい」と言ってくださった方々の励ましもあり、娘の人生をまとめた82ページの冊子が、娘のお誕生日前に完成しました。そして、あの時出逢ったぱらママの藤井さんに協力をお願いしてみたところ、快く受け入れてくださいました。
椿の軌跡が書かれた冊子『病気と共に生きる』は、ぱらママの協力により、娘の一年目の命日までに全国約250名の方のお手元に無事お届けすることが出来ました。
そして、ぱらママが構築しようとしているひなんピングのイベントに参加し、スタッフとして協力することを約束しました。
こうして、椿が繋いでくれたご縁を大切に、椿と過ごした時間を財産として活動に協力できるように関わっていけたらと想っています。
ここでは、私が作成した冊子『病気と共に生きる』の内容を公開します。
良ければ、読んでみてください。