ホンネ

ホンネ
2023/03/10 井上つばき

第3章3-3③医療との関わり

第3章3-3③医療との関わり

入院中の過ごし方CCU(集中治療室)

初めての手術後、CCU(集中治療室)へ移動しました。

はじめて入る空間、はじめて見る装置、はじめて見る手術後の娘

小さなからだにたくさんの管、装置をつけられ、生かされている椿の姿がありました。

眠らされている状態だけど小さく呼吸をしていて、生きていることに安心しました。

そこには、他にも複数の小さなベッドがありました。

懸命に生きようとしている小さな命がたくさんあることを目の当たりにしました。

担当医に「手術は成功しましたが、あとは椿ちゃん次第です。この1日が山場です。」と報告を受けました。

眠る椿の手をにぎり、祈ることしかできませんでした。

面会には時間制限があり、ずっとそこにいることはできませんでした。

こういうとき、家族はなにもしてやることができないのです。

そばにいて声をかけたり、少しだけ触れそうなところを探してなでてみたりするくらい。

病気のことは医療従事者におまかせするしかないのです。

あとは本人の生命力にかけるしかないのです。

うしろ髪を引かれる思いで、看護師と先生に椿をおまかせして病院を後にしました。

翌日の面会時間前に「椿ちゃんがんばってくれましたよ!無事山場を超えました。会いに来てあげて下さい。」と電話で報告を受け病院へ向かいました。

まだ眠っているけど、昨日よりも安らかに見える椿。

これからも一緒に過ごせるのだと心底うれしく、がんばってくれた椿に感謝し、医療従事者に繋いでいただいた命を大切に守っていこうと、改めて心に誓いました。

入院中の過ごし方NICU(新生児特定集中治療室)

医療従事者のお陰で、日毎に回復してくれた椿は倉敷中央病院のNICU(新生児特定集中治療室)に移動できることになりました。

このときも救急車で安全に搬送してくれました。

NICU(新生児特定集中治療室)はCCU(集中治療室)の張り詰めた空気とは違って、穏やかな空気が流れていました。

保育器に入っている椿よりも、もっと小さな子も懸命に生きていて、看護師が優しく声をかけお世話をしていました。

椿はここで約1ヶ月過ごしました。

毎日面会できる時間ぎりぎりまで椿の隣で過ごしました。

毎日椿と離れて過ごす時間、今どう過ごしているのか、しんどくないか、寂しくないか不安でしかたありませんでした。

目を覚ました椿が、私を母親と認識できないのではないか、今後自分自身が母親としてやっていけるのか、不安に駆られることもありました。

当たり前にできると思っていた母と子のふれあいは限られたもので、椿の回復具合を見ながら徐々に解禁されていきました。

おむつを替えても良いと言ってもらえた時、ミルクをあげても良いと言われた時、そうできることに心から喜びを感じました。

悔しかったのは母乳をあげられなかったことです。

初産だったこともあり、出産前から母乳の出がいまいちだったのですが、助産院でマッサージをしてもらったり、マッサージの仕方を教えてもらい自分でやってみたりしてがんばって出るようになっていました。

でも、この数日まともに吸ってもらうこともできず、乳腺が枯れかけていました。

看護師に「そろそろ母乳を飲ませてあげられそうだから、お家で搾乳して冷凍したものを持ってきて下さい。」と言われましたが、「搾乳(さくにゅう)」がなにかすらわかりませんでした。

知識のなさに恥ずかしながらも正直に聞いてみると「搾乳(さくにゅう)ルームがあるからここでしていいよ」と案内して搾乳器(さくにゅうき)の説明をしてくれました。

初めて搾乳器(さくにゅうき)を使ってみましたが、母乳はほとんど出ずスカスカでした。

使い方が悪いのか、そもそも母乳が出ていないのかもわかりませんでした。

ただ、母親として劣っているような気分になり悲しくなりました。

それでも「お母さんの母乳が一番の栄養だからがんばって」と言う看護師の言葉を胸に、椿に飲んでもらえる母乳を作るために自宅でひとり泣きながら母乳マッサージをして乳腺を育てました。

すると、少しずつ母乳が出るようになりました。

毎日搾乳して小分けにして冷凍して、それを持って病院に通いました。

その母乳を椿が少しずつ一生懸命飲んでくれている様子を見ることがなにより幸せでした。

途中、黄疸が出たりする事もありましたが、たくさんの看護師と先生と一緒に椿のお世話をしてもらえ、順調に回復し、生後1ヶ月を前に退院することができました。

実家に帰るとほぼ私と椿だけのような生活で心臓病の娘と認識して過ごす生活は、毎日「もし何かあったら…」と不安でした。

それまでは看護師や先生がそばにいてくれたから安心して過ごせていたのに、ここには頼れる存在がいないことに心細く感じました。

椿はがんばってここまで回復してくれたのだから、今度は私が椿を守る番だ!

私がしっかりしなきゃ!と奮い立たせながら日々を過ごしました。

【関連記事】

『病気と共に生きる』もくじ

1-1 椿の軌跡 

1-2 椿のカルテ

2-1 心臓病のお話

2-2 椿の病気発覚

2-3 椿の病気解説 

2-4 グレン手術と合併症

2-5 ①フォンタン手術と術前治療

      ②ペースメーカーのおはなし

      ③フォンタン手術後の生活

2-6 ①フォンタン術後症候群

      ②はじめての余命宣告

2-7 ①難治性腹水と腸閉塞と臍ヘルニア手術

      ②病院外で生活するために

      ③「チーム椿」の結成!

2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1

      ②発達障害発覚までの経緯-2

      ③発達障害発覚までの経緯-3

      ④発達障害発覚までの経緯-4

      ⑤発達障害と難治性腹水の治療の関係

2-9 ①発達障害とは?

      ②本人へ伝える

      ③発達障害の治療は支援?

      ④取り組んだこと

      ⑤時にはお互い休憩も大事

      ⑥もしわが子が発達障害かもしれないと思ったら…

      ⑦社会的支援について

2-10 ①命のカウントダウン

        ②余命宣告後の過ごし方

2-11 ①最期の14日間-1

        ②最期の14日間-2

        ③椿の生きた最期の1日

        ④椿、旅立ちの日

3-1 ①病気と共にある生活とは

  ②病気と共にある生活とは

  ③病気と共にある生活とは

  ④病気と共にある生活とは

  ⑤病気と共にある生活とは

3-2 ①闘病と家族の在り方

  ②闘病と家族の在り方

  ③闘病と家族の在り方

  ④闘病と家族の在り方

3-3 ①医療との関わり

  ②医療との関わり

  ③医療との関わり

  ④医療との関わり

  ⑤医療との関わり

  ⑥医療との関わり

  ⑦医療との関わり

  ⑧医療との関わり

  ⑨医療との関わり

  ⑩医療との関わり

  ⑪医療との関わり

  ⑫医療との関わり

  ⑬医療との関わり

  ⑭医療との関わり

  ⑮医療との関わり

 ⑯医療との関わり

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