第3章3-3⑮医療との関わり
最期の時間
そして14年間通い続けた倉敷中央病院に最期の入院。
訪問診療の先生から連絡を受けていた主治医のおぎの先生が救急車が到着した場所まで迎えに来てくれ、一緒に病棟にあがってくれました。
「つばちゃん、大丈夫だからね。病棟行こうね。」と言う先生の言葉に安心したように目を閉じたままうなずく椿。
その後、病棟に上がりいつもの看護師の顔ぶれに安心したのか、また寝続けました。
訪問診療の菊本先生が病室まで様子を見に来てくれ、おぎの先生と看護師と今後のことについて病室内で話していたときに突然椿がぱっと目を覚まし、食事を摂りたいと言ってくれた奇跡のようなあの時間は、きっと病院に来ていなければなかったのではないかと思います。
以前、「最期の晩餐はフォアグラの乗ったステーキが良い!」と話していたのに、最期の晩餐に『辛子明太子と白いご飯とかぼちゃのスープ』を食べた椿を見て「やっぱり椿ちゃんらしいな」と、その場にいたみんなが思ったでしょう。
本当に特別な時間でした。
そして、翌朝の午前5時に酸素飽和度が落ち込んでアラームが鳴り響き、椿の最期の闘いがはじまりました。
もう、椿に残された時間が少ないのだと理解できました。
「家に帰ってもいいし、ここ(病院)にいてもいいですので、またどうするか教えて下さい。」と、おぎの先生に言われ、すごく悩みました。
「椿が好きなこの病棟で、ずっと支えてくれた看護師や主治医や先生方、スタッフに見守られながら旅立てるほうが椿は幸せなのかもしれない。」と、ぎりぎりまで悩みましたが「さいごは家で過ごそうね」と椿と約束したからそうしよう、家族と親族に囲まれてさいごを迎えようと考え直し、おぎの先生に「やっぱり家に帰ります」と伝えました。
病院側もそのような前例がなかったようで、この状態で自宅に帰るという選択に慌ただしくなりはじめました。
はじめは訪問看護師が、わたしの妹の車両に同乗して自宅まで帰る予定でしたが、看護師は医療行為ができないということもあり、急遽、倉敷中央病院の主治医であるおぎの先生が付き添ってくれることになりました。
もう朝の10時前だったこともあり、夜勤に入ってくれた看護師も残ってくれ、日勤の看護師と薬剤師と担当医と、たくさんの医療スタッフが椿の乗ったストレッチャーを囲んでくれ、5階から1階の妹の車まで移動し、みんなに見送られて14年間通い続けた病院を出発しました。
モルヒネと酸素ボンベを用意して、おぎの先生と椿を抱えて一緒に帰りました。
車で走る道中、先生は声をかけながら椿の呼吸に合わせ優しく酸素を送り続けてくれました。
でも次第に呼吸は弱まり、大きく深呼吸をした後、止まりました。
それでも、おぎの先生はしばらく椿に酸素を送り続けてくれました。
「家に着くまでは…」そう思っていてくれていることが伝わってきて、椿の最期を見届けてくださったのがおぎの先生で良かったと心の底から思えました。
病院から追いかけてきてくれた訪問看護師の平田さんが、自宅に着いてすぐ椿をベッドまで運んで寝かせてくれました。
息は絶えてしまったけれど、家に帰ることができて、集まってくれた親族にまだ温かい椿に触れてもらうことができました。
その後、訪問診療の菊本先生が来てくれて最後の診察を受け、死亡届を書いてくださいました。
平田さんと、平田さんの次によく訪問看護に入ってくれていた訪問看護師1名と家族で、いっしょに椿のエンジェルケアをすることができました。
椿が選んだ最期の場所は、病院でも、家でもありませんでしたが、椿をよく知る人たちからは『椿ちゃんらしいね』って言ってもらえます。
それが、なんだか嬉しかったりするわたしです。
あのとき、自宅に帰る選択ができたのは、訪問医療を利用していたからです。
訪問医療を利用していなかったらあの状態で病院からは出られません。
それに、おぎの先生が病院を飛び出し、妹の車に同乗して自宅まで付いて来てくださったことは、本当に感謝してもしきれません。
この14年間でたくさんの医療従事者に出会い、椿の人生に、椿の命に、何人もの人が関わってくれ、こんなに特別な対応をしてもらって最期を迎えることができた椿は本当に幸せ者です。
医療に求めること
わたしが医療に求めることは、医療と福祉と教育の連携の強化です。
医療の進歩は著しいのもがあるとは理解しますが、医療だけが先走ってしまう今の世の中に不安や不満を感じてしまう人も多いのではないかと思います。
しっかり連携をとりながら、バランスの取れた社会作りを進めてほしいと望みます。
病院に入院している間は「病児」として大切にされていても、病院から社会に出たとたんに『重荷』のように『はれもの』として扱われるような世の中ではおかしいと思います。
助けられた命を慈しみながらみんなが大切に応援できる環境を、地域でできるような温かい世の中になってほしいと願います。
病気が悪さをしなくても、病気が原因で社会からはみ出してしまうことがないように、医療者が患者におこるリスクだけではなく、希望を持てる未来もいっしょに福祉や教育の現場に伝えながら、現場での具体的な対応策をともに意見を出し合って考えることが大切だと思います。
また、今回椿は病院を飛び出すという選択をしましたが、そうできない子どもたちもいます。
そういった子どもたちが家族と過ごせる時間がもてない、母親が入院している子どもに付きっきりできょうだい児との時間がもてない、などの問題もあります。
難病であればあるほど、そういった自由度は減ってしまうでしょうし、命の限りが迫っている場合もあります。
こういった問題にも目を向けて、家族で入院できる施設や、子どものホスピスも各県に1軒でもいいので設置してほしいと強く願います。
がんばっている子どもを家族みんなで見守れるように。
子どもがひとりで旅立たなくてもいいように。
そばにいる選択ができる環境も整えてほしいと、願っています。
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