第3章3-3⑭医療との関わり
命のカウントダウン
そうして生活していくなかで、突然の余命宣告をおぎの先生から受けたのは2020年12月27日、日曜日のことでした。
年末だったこともあり、なるべく自宅で過ごして、椿がやりたいことを満喫できるようにと、おぎの先生がイレギュラーにとても協力的に動いてくださり、年末年始を父親宅やおじいちゃん宅や自宅で過ごすことができました。
椿の会いたい人に会える時間を持つことができた…というよりは、今思うと「残される人たちの思い出作り」に椿を付き合わせたのかもしれません。
2021年1月6日には訪問チームも集まり、倉敷中央病院でカンファレンスを開いて今後の動きについて話し合ってくれました。
何度も「いかようにも対応しますので、椿ちゃんとご家族のしたいように過ごしてくださって結構です」「いつでも駆けつけますから!」と心強い言葉をいただきました。
そのカンファレンスでは、具体的に「救急車は呼ばないでください」と指示を受けたり(救急車を呼んでしまうと、病死であっても警察が来てしまうのだそうです)、「さいごはどこで迎えたいですか?」と聞かれたりしました。
訪問医療を取り入れているからこそ、病院か家かを選ぶことができたのです。
さいごはどこで…?
椿にとって第2の家のような病院のほうが椿は安心なのかもしれない。
でも、今年の椿の目標は「なるべく家に帰ること」だった。
以前、椿にも直接聞いたことがありました。「どこがいい?」と。
そのときも「家がいい」と言っていました。
もう一度今の椿に確認したかったけど、それを聞くと気づかれてしまう。
今はもう聞けない…。
これまでも何度となく椿が生きるための選択をしてこなければなりませんでしたが、これが椿のためにできる最後の選択でした。
すごく迷いましたが、「さいごは家でみんなで過ごしたいです」と伝えました。
なんとなくもうだめなのかな…と、11月頃に予感がして覚悟していたつもりだったけど、いざこういう話をすると現実を突きつけられ、まだ大丈夫だと信じているのに勝手に涙が溢れて止まらなかったことを覚えています。
でもこの時、小学5年生のときのように余命宣告を打破してくれることも期待していました。
そこにいたみんなが、椿の奇跡的な生命力を信じようとしていたことは間違いありませんでした。
わたしたちには心強い医療チームがついてくれている!と思えるカンファレンスでした。
その後はからだの負担を減らすためにも訪問診療がメインになりました。
椿が自宅で最後を迎えるために快適に過ごせる準備が早急に手配されました。
レンタルのパラマウントベッドも、倉敷中央病院の手配で翌日にすぐ搬入されました。
ポータブルトイレは訪問看護から無料で貸し出してくれて、あっという間に自宅での療養準備が完了しました。
翌日からさっそく、自宅でもメイロンとカルチコールの補充ができるように対応してくれ、訪問薬局としてアイビー薬局が自宅まで毎回処方箋を届けてくれるようになりました。
そのほかにも、それまではわたしが薬局で粉薬を詰めることができるカプセルを買ってきて、粉薬で処方されるモルヒネを、カプセルに小分けにしていました。
これが結構大変だと、訪問診療の先生に相談したところ、訪問薬局の方でモルヒネをカプセルに小分けにする作業も対応してくださり助かりました。
自宅で椿と過ごす時間、椿がだんだんと弱っていくのを感じる度、やはり病院で過ごすよりも不安がありました。
なにか不安に思うことがあれば、訪問診療の先生に電話相談しました。
すると、訪問チームで密に連携をとってくれて、訪問看護師がすぐに対応してくれました。
こうして、日々を大切に過ごしているつもりでしたが、余命宣告を受けてからの椿は思っていたよりも弱りが早く、それまでは補充してもらうと調子が良くなっていたアルブミンや輸血の補充後、数日するとグンと調子が悪くなり眠る時間が増えていきました。
補充する度、一週間おきに悪くなっていく印象を受けました。
それまでは椿を助けてくれていたはずのその薬を投与されることが、逆に負担になってしまうくらい、からだが限界なのだと理解できました。
2021年1月22日に入院した時に、それまで余命宣告の原因とされていた血液データの低下が改善され「危機的状況から脱出したでしょう」と、まさかの2度目の余命宣告からの回復を見せた椿!!!
これにはみんなで大喜びして「さすがつばちゃん!」と称賛されました。
でも、実際の椿の容態を見ていると、退院した次の日にはまたしんどそうにしていたのです。
真実を知りたくて訪問診療の先生に電話をしました。
「数値的に危機的状況を脱出できたとしても、椿ちゃんのからだはだんだん限界に近づいていることは間違いありません。」と教えてくれました。
先日まで喜んでいた気持ちは「やっぱりか…」と、しぼんでいきました。
主治医の見解とはまた違う、訪問診療の先生の意見はセカンドオピニオンみたいなものでもありました。
訪問診療は命の終わりを自宅で迎えるための手段でもあります。
そういう経緯をたくさん診てきた先生だからわかることもあるのだと、納得しました。
だんだん増えていくモルヒネも、「初めは使うと椿じゃなくなるみたいでいやだ」と思っていたのに、今は飲ませてあげたほうが楽なのだとわかるようになっていきました。
でも、モルヒネを飲んでいなくてもほとんど寝て過ごすようになり、口数も減り、訪問チームが来てくれる日も少し目を開けてうなずくだけになっていました。
そして2月3日、椿の要望を叶えるため倉敷中央病院に最後の入院をすることになりました。
このとき、朝から来てくれ、テキパキと対応してくれた訪問看護師の平田さんがいてくれて本当にありがたかったです。
わたしひとりでは病院に連れて行く判断も、救急車を呼ぶこともできなかったから。
そして、通算5度目の救急車を利用させてもらい、それまでの闘病生活に思いをはせながら、これまで関わってくださった医療従事者に感謝しながら倉敷中央病院へと向かいました。
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2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1
3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
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