第3章3-3⑬医療との関わり
難病と発達障害と 社会で生きるということ
倉敷中央病院の先生や看護師に、過去に何度か発達障害について疑っていることがなかなか伝わらなかったことがあります。
それは、心臓病という難病に隠れてしまっていたからだと思います。
「心臓病の子はそういうところあるから…」「つばちゃんはよく頑張ってるから…」と言われてしまえば、気にしすぎかな?と問題を遠のけてしまっていました。
たとえ発達障害であったとしても「つばちゃんはつばちゃん」という考えも理解できます。
発達障害というレッテルをはることが社会的にいいとされていない問題が背景にあったのだと思います。
でも、難病と闘うだけで十分なエネルギーを要しているから、そのほかの多少のことは目をつぶろうというのは、わたしは違うと思います。
自分でできることが多いことは子どもの自信につながると思います。
それだけで自由度が増し、向上心を育てることにつながるでしょう。
それに、興味も増え、好きなことを見つけられることにもつながるでしょう。
好きなことがあるということは、病気にも向き合える大事な要素だと思います。
だから、病気で床に伏せていようとも、その中でできることにはできる限り取り組ませたいし、つまづきになってしまうことがあれば、そのつまづきから目を背けずに真剣に向き合うべきだとわたしは思います。
それを乗り越えることは、自信につながるチャンスだと思います。
…が、これに関してはいろんな意見が出てくる難しい問題だと思います。
専門の科が違うこともあるでしょうし、病気で入院が長く続くことで社会との間に空間・溝ができてしまうため、難病の子どもは「当たり前」の感覚がズレてしまってもしかたがないという見解もあると思います。
でも、実際はずっと入院しているわけではなく外の世界(社会)で生きていかなくてはなりません。
病院では守られていた心臓病や発達障害などは、社会に出てしまえば変にまぎれてしまったり、守られるどころかめんどくさがられたり、遠ざけられたりする問題へと変わります。
それに立ち向かうには、強い心と強い味方が必要であると思います。
素直で可愛らしい笑顔のためにできること
倉敷中央病院はいつも学校側とのつながりを持つように心がけてくれていました。
小学5年生のころから行われるようになったカンファレンスはその現れで、実際母親が学校側に説明するだけよりも、医療者が対面して説明することで病状がくわしく伝わり、学校側の不安が緩和(かんわ)されることもあります。
また、患者の居場所を共有できることは患者と患者家族にも安心感が生まれると思います。
患者の居場所作りを大切に考えてくれ、医療的な支援をできる範囲で行いたいと、病院側が継続して学校に関わってくれたお陰で、こちらの不安感が緩和されたことに間違いありません。
発達障害の問題が深刻化してからは、さらに深く家庭のことや自分たちのことも知ってもらう必要がありました。
外来治療ではまた違ったかたちになっていたと想像しますが、椿は運よく訪問診療の先生が精神科の専門医だったこともあり、発達障害の治療を訪問診療の先生にお願いすることになりました。
いくら医療的なことだと割り切っていたとしても、訪問医療は自宅に来てもらうことでさらにプライベートな領域に踏み込んでもらうことになるので、やっぱり「信頼」がないと全てにおいてうまくいかなくなってしまうと思います。
椿が利用していた訪問医療も訪問看護も医療的なことだけではなく、それを取り巻く家庭の問題、学校の問題など多方面の問題を一緒に解決しようと寄り添ってくれました。
家族にとっては、常に味方でいてくれ安心できる心強い存在でした。
訪問診療を利用しはじめた頃から、先生方は椿の話をとことん聴いてくれていました。
そういった寄り添いが椿にとって心の診療であったように思います。
病気のことを理解してくれていて、自分のしんどい気持ちに寄り添ってくれる優しい先生方のことがとても気に入っている様子でした。
発達障害が発覚してからは、より一層心の支えであったと思います。
発達障害の具体的な治療法は先に示した通りになります。
その子それぞれで症状も特性も環境も違う問題なので、はっきりとした治療法はなく、周りの環境を整え『本人がやりやすい方法を一緒に見つけていく』ことが治療方針になります。
すぐに改善というのは難しいですが、椿も少しずつ変わっていき、蛋白漏出性胃腸症になる以前の、素直で可愛らしい笑顔を取り戻してくれるようになっていきました。
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2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1
3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
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