第3章3-3⑩医療との関わり
訪問診療の紹介①
【出典:医療法人ときわ会 藤井クリニック】
倉敷中央病院からの紹介で、はじめての訪問診療には藤井クリニックが診療に入ってくださいました。
相談して、椿の学校が終わってから診察が受けられる時間、16時頃に家に来ていただく運びになりました。
はじめての訪問診療は少し緊張して、どのようにお迎えすればいいのかもよくわからず、学校の家庭訪問のように過ごしました。
もともと藤井クリニックの患者さんはご老人が多いようで、先生も手探りな様子でした。
この頃はまだ椿も体調がそこまでしんどくなかったので、とにかくおしゃべりをして仲を深めました。
おしゃべりが好きな椿は先生や看護師が家に来てくれるととても喜んで、待ってました!といった感じで、嬉しそうに1〜2時間ほどマシンガントークを繰り広げていました。
藤井先生はいつもとても優しく「椿さんは本当にいつもよくがんばっているね。」と、寄り添ってくれる先生で、椿の心のしんどさや、したくないがまんの話などを「うんうん。」と優しく聴いてくださいました。
わたしの方は日常で起こる困りごと、水分をかくれて飲むこと、塩分をとりすぎること、家族が見ていない間にこっそりお菓子や塩分類などをかくして持ち出していることなどを相談していました。
解決につなげるというよりは、情報を共有してもらっている感じでした。
でも先生に知ってもらうことで、わたしと椿がいがみあってギスギスしている環境が少し緩和されて「ケンカの仲裁役」になってくださいました。
いつも診察時間内に写真を1枚撮ってくれて、このときの写真を見ると、椿が怒っているママと少し距離を置こうとしている様子がわかりました。
写真を客観的に見ていると、子どもながらに親の様子をうかがっていることが見えてきて、お互いに想い合っているのに素直になれない状況を目の当たりにして、椿の意見にもきちんと耳をかたむけたいと少しずつ思えるようになっていきました。
家庭内で起こる問題を家族以外にさらけ出して相談することはなかなか難しいものですが、実際に自宅に来ていただくことできれいごとではなく、真実を知ってもらういいきっかけになったと思います。
正直、はじめは「訪問診療って一体なにをしてくれるのだろう」と、思うこともありましたが、家庭に医療が介入することの意味と感覚を少しづつ理解させてくれたのが、藤井クリニックの先生でした。
わたしの勝手な見解ですが、訪問診療に介入してもらう意味は『何をしなくても、家に様子をうかがいに来てくれる地域の先生がいる安心感』なのではないか、と思いました。
訪問看護の紹介
【出典:yell株式会社エール】
訪問看護も倉敷中央病院からの紹介で、はじめての訪問看護には訪問看護ステーション エールが来てくれることになりました。
訪問看護ステーション エールは利用者が多く、評判もいいようでした。
代表取締役の平田さんが偶然にも我が家の近くに住んでいたこともあり「なんか心配なことあったらすぐ来るけん!いつでも連絡して!」といつも言ってくれていました。
頼ることが苦手なわたしでもすぐに心を開いて相談できた一番の理由は平田さんの人柄です。
いつも明るくまっすぐで、平田さんが来てくれるとパッとその場が明るくなるようなひまわりの様な人です。
小児の医療の発展を考え、なにごとにも真剣に向き合って突き進んできた平田さんだからこその人間性だと思います。
医療のことも、学校のことも、家庭で起こる問題も、すぐ平田さんに相談できていたから乗り越えてこられたのだと本当に感謝しています。
スタッフのみなさんもとても人柄が良くて優しさがすぐ伝わって安心してお任せできました。
素敵なスタッフさんばかりです。
訪問看護に入ってもらう少し前のこと、入院時に病院で投与されていたグロブリンと同じ様な免疫系の働きを高める作用のあるハイゼントラを自宅で投与する運びとなっていました。
本来、自宅で患者本人や家族が投与しても良いキットとして利用されているもので、椿にはわたしが投与する予定でしたが、訪問医療の介入により、訪問看護師がハイゼントラもしてくれることになり、安心して投与を始めることができました。
ハイゼントラの投与はビンから注射器に移し、みじかめの針を決まった箇所(椿は左の太ももと左下腹あたり)から血管に当たらないように刺し、針が抜けないように固定して、大きめの注射器を点滴の装置につけて時間をかけて少しずつ投与していきます。
お薬の量は徐々に増やしていきました。
皮下にお薬が溜まるのではじめの20mlくらいはまだよかったのですが、MAX40mlになってきたころには椿が痛がって投与することに恐怖を覚えるようになっていきました。
お薬が入ってくることで皮膚にピリピリと刺激があることと、投与し終わったあとの膨れ上がった皮膚に服がすれるだけでも痛みがあり、薬が吸収されてなくなるまでの翌日までは痛みが続くようでした。
繰り返すごとに恐怖心が強まり、注射の針が近づくだけでも呼吸を荒くして怒っていました。
いつも訪問看護師は椿の気持ちと相談しながら、お薬の投与に時間をかけて付き合ってくれました。
訪問看護に入ってもらったばかりのころ、腹水の排液ができるようになっているドレーンの侵入部の問題は尽きることがなく、生々しい傷口は繰りかえす治療によりグジュグジュになっていきました。
不思議と本人はそれについて痛みを訴えることは少なかったのですが、侵入部からの腹水の漏れ問題は深刻化していきました。
朝から晩まで侵入部から漏れ続ける腹水を、防水シートや尿もれパットで包んで学校へ送り出していたこともあります。
こういった時も「どうすればいいか」と一緒に悩んで考えて、知恵と手を貸してくれたのは訪問看護師でした。
病院に行かずとも、自宅で起きる問題をタイムリーに一緒に考えて対策してくれることは本当に心強く助かりました。
椿もどの訪問看護師ともすぐに仲良くなり、話を聞いてもらったり、「痛い」と怒ったり泣いたり、ありのままのかざらない自分で付き合っていました。
さいごの瞬間まで一緒についてケアしてくださり、心から感謝しています。
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