ホンネ

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2023/02/24 井上つばき

第3章3-3①医療との関わり

第3章3-3①医療との関わり

椿が産まれてから旅立つまで、なによりも大切だった医療の存在。

14年間、最低でも月に1度は必ず、休まず通い続けた病院。

椿にとっては命を守ってくれる、安心できる大切な居場所でした。

そんな医療との関わりについてお話していきます。

妊娠初期の様子と産婦人科のこと

私の第1子として椿がお腹に宿ったのは2017年1月のことでした。

2月に職場近くの産婦人科へ行き妊娠発覚。

その後も妊娠9ヶ月までは職場近くの産婦人科へ通いました。

この産婦人科は、創業40年近くで、よくある規模の、ごく普通の地域の産婦人科でした。

設備も整った評判の良い産婦人科です。

妊娠初期から6ヶ月頃まではつわりで吐き気がひどく、特に『におい』に敏感になり、それまで大好きだったコーヒーのにおいもだめになりました。

においのある食品も気持ち悪くなったりして、食欲もあまりなかったので、においの少ないゼリーなどを好んで食べていました。

妊娠6ヶ月頃に性別がわかり、すぐに名前を考えました。

「女の子はお花の名前がいい」と私が意見し、両親とも好きな花である『椿』に即決しました。

『椿の花のように、凛として美しくたくましく育ってほしい』と思いをこめて。

その日からお腹にむかって「椿」と呼びかけるようになりました。

妊娠中期から後期の働きかた

妊娠6ヶ月頃のエコーの3D写真

妊娠7ヶ月くらいからは、つわりが落ち着き、それまで敏感だったにおいも大丈夫になり、食欲も出てきました。

でも、診察のときに「切迫早産の危険がある」と言われて、内服薬を飲むようになりました。

この内服薬を飲むと動機や吐き気があり、それがつらくて会社を休みがちになりました。

当時、高卒から3年間務めていた会社へは、自宅から車で1時間以上かかります。

内勤で発注や在庫管理の業務をまかされていましたが、このころから体に負担がないように配慮してくださり総務部へ移動になりました。

それでも、長距離の通勤や座りっぱなしの業務、内服薬の副作用でおこる動悸や吐き気..

平日5日間、8時半から17時までの勤務はさすがにしんどく、夜中に足がつり、朝起きると下腹部が張る頻度が増えていきました。

上司が「無理がないように、しんどかったら休んでいいよ」と声をかけてくださったこともあり、だいたい週に3日間ほどの出勤になっていきました。

その間も椿は順調に育ってくれて、妊娠9ヶ月になった頃に産休に入りました。

いよいよ出産!水中分娩!

このタイミングで、実家の近くの助産院に切り替えました。

実家の近くでおすすめの産婦人科を探していて、水中分娩ができる珍しい助産院があると聞いて、見学に行かせてもらってから転院を決めました。

(現在はもう水中分娩は行われていないそうです。)

実家から車で20分ほどの、住宅街の一角にあるピンク色のお家。

1階が診察などの外来の空間。

2階が入院するお部屋と分娩室がある病棟の空間。

室内は1部屋ずつディズニーのキャラクターで飾られていて、かわいらしい空間でした。

普通の家の普通の部屋、くだけた感じの助産師や看護師、母親がいない私でもリラックスして過ごせる気がして、ここで出産したいと思いました。

転院後の診察でも特に指摘されることはなく、出産まで実家でのんびりと過ごしました。

予定日の3日前、助産院へ診察に行った翌日、予定日より2日早く、朝8時頃に破水がありました。

それから病院に連絡し、父親と助産院へ行き診察を受け、12時頃まで車でドライブしてくるように指示がありました。

助手席に乗っているだけで無意識に踏ん張るので産気づくのが早まるそうです。

そして、病院に戻った頃には陣痛もきつくなってきて、出産したあとに過ごす部屋に案内されました。

陣痛の間隔が早まるまでの間、はじめての陣痛に冷や汗をかきながら、看護師のうでをつかみ痛みに絶えて、なぜか声を我慢して、足を温めたり座ったり転がったりして過ごしました。

陣痛の間隔がみじかくなってきて、小さなプールがある部屋に移動していよいよ出産の準備に入りました。

看護師に誘導され、部屋の角に設置された紅色の一人用のお風呂に浸かると、それまで辛かった陣痛がうそのように消え、ふわっと腰が軽くなりました。

そして「次でいきむよー!」という助産師の声に合わせ踏ん張ると「スルッ!」と、椿が水中から出てきて、小さな声で泣きました。

小さな手、小さな足、真っ赤な顔、まだ繋がったへその緒。

震える手で椿をこの手で初めて抱きしめました。

「やっとあえたね。うまれてきてくれてありがとう。」

と声をかけました。

父親もプールの横で待機していて、助産師に上半身裸になるように言われ、へその緒を切ったあとに初めて椿を抱っこしました。

直接肌と肌で触れ合って親子の絆を深めるこの行為を「カンガルーケア」というそうです。

2006年10月7日15:34に水中分娩にて2640g49.5cmの女の子が誕生しました。

椿は、このとき健康児として誕生しました。

その後も予定通り5日間入院し、なにごともなく出生から5日目に退院して実家に帰りました。

そして、誕生から8日目の夕方その時は突然やってきました。

【関連記事】

『病気と共に生きる』もくじ

1-1 椿の軌跡 

1-2 椿のカルテ

2-1 心臓病のお話

2-2 椿の病気発覚

2-3 椿の病気解説 

2-4 グレン手術と合併症

2-5 ①フォンタン手術と術前治療

      ②ペースメーカーのおはなし

      ③フォンタン手術後の生活

2-6 ①フォンタン術後症候群

      ②はじめての余命宣告

2-7 ①難治性腹水と腸閉塞と臍ヘルニア手術

      ②病院外で生活するために

      ③「チーム椿」の結成!

2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1

      ②発達障害発覚までの経緯-2

      ③発達障害発覚までの経緯-3

      ④発達障害発覚までの経緯-4

      ⑤発達障害と難治性腹水の治療の関係

2-9 ①発達障害とは?

      ②本人へ伝える

      ③発達障害の治療は支援?

      ④取り組んだこと

      ⑤時にはお互い休憩も大事

      ⑥もしわが子が発達障害かもしれないと思ったら…

      ⑦社会的支援について

2-10 ①命のカウントダウン

        ②余命宣告後の過ごし方

2-11 ①最期の14日間-1

        ②最期の14日間-2

        ③椿の生きた最期の1日

        ④椿、旅立ちの日

3-1 ①病気と共にある生活とは

  ②病気と共にある生活とは

  ③病気と共にある生活とは

  ④病気と共にある生活とは

  ⑤病気と共にある生活とは

3-2 ①闘病と家族の在り方

  ②闘病と家族の在り方

  ③闘病と家族の在り方

  ④闘病と家族の在り方

3-3 ①医療との関わり

  ②医療との関わり

  ③医療との関わり

  ④医療との関わり

  ⑤医療との関わり

  ⑥医療との関わり

  ⑦医療との関わり

  ⑧医療との関わり

  ⑨医療との関わり

  ⑩医療との関わり

  ⑪医療との関わり

  ⑫医療との関わり

  ⑬医療との関わり

  ⑭医療との関わり

  ⑮医療との関わり

 ⑯医療との関わり

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