第3章3-2①闘病と家族の在り方
第3章3-2では家族構成、それぞれの向き合い方、病気と生活のことについてお話します。
ちなみに、医師からは「心臓病は遺伝ではない」と説明されていますが、親族内で心臓病だった人が椿の他にひとりいます。
私の5歳ほど離れたいとこが心室中隔欠損症(心臓の中の左心室と右心室をしきる壁に穴が開いているもので小さな穴だと5人に1人は自然にふさがる)でしたが、いとこは幼少期に自然にふさがり、今では4児の母としてパワフルに過ごしています。
家族構成
椿が産まれた当時、椿の父親は20歳、母親(私)は21歳でした。
椿が出生した当初は準備ができている状態での結婚、出産ではなかったため、実家暮らし同士で、週末のみ私の実家に通い妻ならぬ、通い夫をしてもらっていました。
椿が産まれて、先天性心疾患とわかってからは病院で過ごす時間のほうが多かったので、入院中に病室で会う時間が家族の時間となり、カーテンで区切られた小さな空間が私たちの家のような感覚でした。
家族そろってひとつの家で暮らせるようになったのは、椿の2回目の手術後の合併症が少し落ち着いてきた生後7ヶ月頃からでした。
その後も入退院がひんぱんに繰り返され、家族がそろう時間には限りがありました。
父親の両親は幼いころ離婚していて、実家に椿のおばあちゃん(父親の母)、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、おじさん(祖母の弟)、叔父(父親の弟)が住んでいました。
みんなそれぞれ仕事に就いていて、ひいおじいちゃんは当時デイサービスに通い、ひいおばあちゃんは仕事と介護、おばあちゃんたちも日中仕事をしていて忙しく過ごしていました。
母親である私の家族は、おばあちゃん(私の母)は20年前に他界。
もちろん椿と会ったことはありません。
実家におじいちゃん(私の父)、叔母(私の妹)が住んでいて、ふたりとも日中仕事をしていました。
伯母(一番上の姉)は、3人の子育てをしながら仕事して忙しく過ごしていたし、県外に住んでいるため大型連休のときに会うくらいでした。
伯父(私の兄)は当時、会社の寮に入り一人暮らをしていて、後に結婚し、今は1児の父親です。
家族や親族は頼れる存在?
子どもが闘病する上で家族の助けが必要不可欠であることは言うまでもありません。
病院や役所の方と話しているときも、「頼れる家族」がいる前提で闘病生活を送ることが当たり前として話を進められました。
ですが、私の場合、父親は協力的ではなかったし、親族が近くに住んでいても、家庭があったり、仕事に就いていたりするため、フリーで動ける・頼れる親族がいませんでした。
それに、親族とはいえそれぞれの生活があります。
緊急時でない限りその生活リズムを崩してまで、こちらを助けてほしいと言える状況ではありませんでした。
いくら親族が健在するからといっても、それぞれいろんな事情があるため、実際は頼ることが難しい場合もあるということです。
入院・通院生活は「当たり前」
予定している入院で、先の見通しが立っている場合は「何をどうしてほしいか」明確に頼むこともできます。
ですが、予定していない入院、長期入院の場合はそうはいきません。
椿の場合、無脾症候群(むひしょうこうぐん)のため感染症などにかかると悪化しやすい上、急遽入院することも多く、予定していない入院がひんぱんにありました。
術後も合併症で入退院を繰り返し、長期的な治療が続きました。
そうすると、次第に私たち自身も周りの対応もマンネリ化していきました。
はじめのころは、その都度「入院しました」と報告をするようにしていました。
親族や仲の良い友人が協力しようとしてくれたり、お見舞いに来てくれたりしていました。
でも、不定期な入院や長期入院が繰り返されるごとに『難病児はそういう生活が当たり前』という感覚になっていきました。
だんだんこちらから「入院しました」と、その都度連絡をしなくなっていきました。
「元気?」と聞いてくれても「あいかわらずだよ」と答える程度でした。
父親もはじめのころは、入院すると毎日職場から1時間かけて、ひいおばあちゃんが作ってくれたお弁当を持って、椿に会いに来てくれていましたが、『難病児のそういう生活が当たり前』になってからは、自分の体調管理のこともあるので無理なく通うようになりました。
週末だけお見舞いに来て数時間付き添い交代をし、その間に私が家に帰り、家事、買い物、仕事を済ませ、また付き添い交代をするという生活を続けました。
父親の体調によっては、感染問題もあるので、しばらく病院に来ないこともありました。
入院以外の通院に関しては、基本的には月に1度の外来受診で半日から1日がかりでした。
手術の前後になるとふたつの病院(通院している病院と手術している病院)の外来を受診しなければなりませんでした。
椿は14年間、外来の受診も救急外来の受診も入退院も、私以外の人と行ったことは一度もありませんでした。
本来なら、家族で共有して「いつでもだれでも対応できる」状態が理想的だと考えます。
つい、「私がどうにかしなければ」と抱え込んでいましたが、闘病する当事者とお世話する人(主に母親)だけでいろいろを抱えこむのではなく、みんなで共有できて、だれでも関われるような環境になればいいと感じます。
子どものため、家族のためにも、絶対にそうあるべきです。
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3-2 ①闘病と家族の在り方