第2章2-8④発達障害発覚までの経緯-4
辛い治療も慢性化してきていたころ、椿の欲が抑えきれなくなってしまっていることに改めて気付かされる問題が起きました。
してはいけないことをしてしまう悪の心にもきちんと理由があります。
してはいけないとわかっていても止められなかった思考回路は、本人が1番理解する必要があります。
この先どうしていけばいいのか、たくさんの人に助けてもらう必要がありました。
発達障害発覚までの経緯-4
9.社会的問題
コロナの影響で例年よりも早く7月から夏休みになりました。
長期の休みが続いたことで椿の感覚がマヒしてきたのか、
「してはいけない」と判断できるはずのことまで、してしまうようになっていったのです。
自宅の玄関付近に置いてある水槽の水を汲んで飲むようになりました。
初めてそれに気がついたときは、
「これは飲み水ではない。感染を起こす可能性がある。命に関わることだからしてはいけない。」と伝えました。
椿も理解した様子だったのでもうしないだろうと思い、水槽はそのままにしていたのですが、
その後も隠れて飲んでいるところを弟が発見しました。
その後、水槽はリビングに入れましたが、椿が椿の部屋で飼っているハムスターの飲み水を飲むこともありました。
そして、夏休みには購入していないはずの商品(塩コショウ)が椿のベッドの枕元から見つかりました。
これも息子が見つけました。
いつも台所から持ち出したお菓子や塩コショウなどは枕の下に隠してあることが多かったことを、
息子も知っていたので気になって枕をめくってみた感じでした。
椿に確認したところ、その日の昼間に私と息子と椿の3人で一緒に行ったお店から会計を済まさずに持って帰ったのだと判りました。
なぜ会計をせず持ち帰ったのか理由を聞くと
「欲しかったから」「いけないことだとわかっていた」「悪いことをしたと思っている」と言いました。
お店にはすぐに電話し店長が出勤している時間帯にお伺いし、両親と本人で謝りに行き、許して頂き会計を済ませました。
このことは家族みんな衝撃的でショックをかくしきれませんでした。
でも、椿は次の日になるとなにごともなかったかのように、反省した様子もなく普段通り過ごしていました。
椿は正義感の強い子で、今まで育ててきて「して良いこと・悪いこと」の常識があると思っていたので、
社会的にしてはいけないことをしたのにも関わらず平気そうにしている椿を見て親として素直に悲しかったし、
この先の椿の人生が不安でいっぱいになりました。
10.病院に相談③
その日訪問予定だった訪問看護師に事情を説明し、異常事態だと判断した訪問看護師から
倉敷中央病院のソーシャルワーカーに「発達障害の検査を急いでほしい」と伝えてもらいました。
主治医から小児科の心療内科の先生に取り次いでもらい、次の入院のときに私だけで心療内科の外来を受けました。
家庭の問題の説明から、最近の椿の素行などを相談しましたが、すぐに発達障害の検査の話にはならず、
ペアレントトレーニング(第2章2-9にて詳しく説明します)がはじまりました。
それ自体は椿との関わり方や考え方についてとても勉強になりました。
主治医は椿の意思を尊重して、隠れて塩を摂らないようにするため処方箋として「塩化ナトリウム」を出すようにしてくれました。
そうすることで摂らなければならないものという認識に変わり、量の把握もできて椿も家族も楽になりました。
少しずつ環境や治療方針は変わっていくのに発達障害の検査の話に進まないのがおかしいなと思っていたら
「お母さんが精神病を疑っているから診てほしい」と伝わっていたようで、3回目の診察でやっと
「精神病ではなくアスペルガーなどの発達障害を疑っているので、検査をしてほしい」のだと伝わり検査するに至りました。
11.発達障害の発覚!
発達障害の検査は、①先に検査していたWISC-IV、②相談に至った経緯、③チェックリストによる聞き取りで結果が出ます。
2020年9月(中学2年生2学期)椿は14歳にしてADHD注意欠損・ASD自閉症スペクトラムであるという診断がつきました。
それまで何度か疑っていたけど、病気のせいでかくれてしまったり、
私に知識がなかったことでうまく伝えることができず、診断がつくまで遠回りをしました。
ここでやっと診断がついたことにより、中学1年生の2学期の頃から少しずつ感じていた椿の行動や
思考の理解できなかった部分の謎が解け、「椿自身も苦しんでいたのだ」と理解することができました。
それまでお互いに「なんでわかってくれないのだろう」とすれ違ってしまっていた気持ちを理解し、
椿の心に歩み寄ることができ、家族のあいだに生まれていた溝が埋まるキッカケになりました。
一生懸命向き合っている家族や医療従事者、学校の先生に対して、
何度約束をしてもそれを守ることができずに裏切ってしまう繰り返しでコミュニケーションを取りづらくなってしまい本人も辛かったと思います。
「病気のせいにして逃げているだけではないのか?」と疑ってしまうことばかりが続いていましたが、
根本にそういう問題がかくれていたのだとわかり、家族も椿も「解決する方法がある」と安心しました。
以前ならくっついてニコニコ写真を撮っていたのにこのころはすれ違うことが多く、
一緒に並んでも微妙な距離感がありました。
これがこのころの私たちと椿のリアルな「心の距離」でした。
ペアレントトレーニングをはじめたころから、少しずつ椿との関わりにも変化が現れるようになっていきました。
問題がすぐに解決に向かうわけではありませんでしたが、発達障害の発覚もあり、
心療内科の先生、訪問診療の先生の介入で援助もあり、落ち着いて関わることができる時間が増えていきました。
【関連記事】
2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
④発達障害発覚までの経緯-4
2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1