第2章2-8③発達障害発覚までの経緯-3
中学校と病院関係者と家族が参加したカンファレンス。
大事な話へ踏み込むのはなかなか難しいと実感しましたが、現状の共有ができたこと、
椿が参加して自分の口から意見を言えたこと、全体の目標がはっきりしたことでいい環境が整っていくような気がしていました。
発達障害発覚までの経緯-3
6.中学校にてカンファレンス
検査結果を受けたあと、病院からの提案で椿の来年度の方針を共有する目的で
2020年3月(中学1年生3学期)、中学校でカンファレンスが行われる運びになりました。
中学校からは教頭・学年主任・担任の先生・養護教諭・スクールカウンセラーが参加。
かかりつけの病院からは当時の主治医・看護師・ソーシャルワーカー、
訪問診療からは医師・秘書・訪問看護師・訪問薬局薬剤師、
そして主人と私、椿(終盤)が参加しました。
中学校で開催されたこともあり、担任の先生の司会でスタートしました。
まずは病院サイドから病気の現状と今後の処置内容の共有、
発達検査の内容について軽く説明、訪問診療の介入の紹介がありました。
次に学校サイドから学校での本人の様子、最近の取り組みについて報告がありました。
そして、家族の想い、椿の想い、寄り添ってほしいことを含めて双方のすり合わせが行われる予定でしたが、
結果的に上辺だけの報告とざっくりした方針の決定のみで深く踏み込んだ話までには至りませんでした。
共通して理解されたのは
『これまで病気と闘ってきたため、「できること」を増やすチャンスがなく成功体験が少ない。
本人のペースに合わせ「できる」をクリアして成功体験を積み重ねることで向上していくように見守る』
ということ。
このカンファレンスのあと、みんなが同じ方向を見て、取り組んでいけるはずでした。
7.問題の悪化
そしてむかえた中学新2年生。
はじめのころは、担任の先生のもと、心機一転、気持ち新たに楽しく通えていたのですが、
コロナの影響を受け1ヶ月ほど休校になりました。
自宅でひとりの時間が多くなったことで、水分と塩分に関して椿の暴走が更に悪化していきました。
椿が家でひとりになる時間は椿の命を守るため、水道や食料があるリビングと洗面所のドアの上部に鍵をかけ、
入れないようにしていました。
その鍵が簡易的なものだったこともあり、ホウキと椅子を使って鍵を開けて侵入して、
水分を摂ったり、夜間や次の日の昼間に隠れて食べるためのお菓子や、
調味料(塩、コショウ、鶏ガラのもと、カレー粉など)を持ち出したりしていました。
私が仕事を終えて帰宅する時間(15時ごろ)には痕跡を消してなにもなかったように笑顔で出迎えてくれるのですが、
その顔はむくみがひどく、夕方から夜間にかけて調子が悪く、苦しむことが増えました。
なにげなく見たかばんの中やクローゼットの中、椿のベッドの枕元に隠し持って食べた痕跡を見つける頻度が増えました。
その度に話をして「もうしない」と約束するのですが、次の日にはまた問題が起き、
毎日行われる悪行にこの頃から家庭内の空気が悪くなっていきました。
毎日疑ってしまう家族もしんどかったし、疑われる椿も辛そうでした。
そして学校にも行き渋ることが増えていきました。
この時には『二次障害』で苦しんでいたのです。
8.病院に相談②
エスカレートする椿の行動に困りはて、病院で何度か医師や看護師に相談していましたが、
『根本には病気の問題がある。蛋白漏出性胃腸症の難治性腹水のため、
必要な水分や成分が漏れ出てしまっていることにより喉が乾き、塩分も欲しくなる。
加えて水分制限、内服薬の副作用で更に喉が渇くためコントロールが非常に苦しい状態。
だから、そればかりに意識がいってしまい悪循環になる。
本人の気が紛れることや、目標を作ることで違う方向に持って行けるのがベスト』
という話になりました。
毎日椿ともいろいろと話をしましたが根本的な改善がなく、
どうすればこの「命をけずる行為」や家族が困る行為をやめてもらえるのか悩みました。
椿自身も葛藤の日々が続きました。
【関連記事】
2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
③発達障害発覚までの経緯-3
2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1