4章4-3 椿と共に未来へ
手帳の言葉に隠された想い
この手帳が書かれたのは、たぶん余命宣告を受けた後、2週間以内くらいだったのかなと思います。
椿が旅立つ3週間くらい前、家族旅行に行ったあとは、もうペンを握るのもしんどいような感じでした。
それに、この手帳はずっと入院するとき用のカバンに入っていたけど12月末頃までは使っていなくて真っ白だったことは、椿といっしょに荷物の整理をしたときに確認しています。
椿に「この手帳使ってないならカバンから出しといていい?」と聞いたら『使うかもしれんから一応入れといて』と言われて戻したんですよね。
だから、そのときには何も書かれていなかったのを確認しています。
そして、余命宣告を受けたのが12月27日。
いつもはエレベーター前で弟と待っているお父さんが一緒に病棟内に入って来て、先生と話をしに行ったところを見ていた椿は「いつもと違う」と感じた様子で『先生となんの話したん?』としきりに気にして聞いてきました。
わたしは「最近先生と話せてなかったから、最近の椿の状態を一緒に聞いてもらったの。点滴の補充が増えたりするから毎日点滴しに病院に来るでしょ?病院に来る日も増えたりするから知っててもらわないとね。」と伝えました。
『命の限りが迫っている』と、時が来たら話そうか、黙ったままの方がいいのか…まだ何も考えていなかったので、本人には余命宣告を受けたことは伝えないという全員無言の一致の方針でした。
その数日後、12月30日に病院の外来へ点滴補充をしに行った際、処置室内の少し大きめのトイレの中でふたりきりになった時
『ねえ、本当は先生と何話したの?椿死ぬの?』
と聞いてきました。
「そういう話じゃないけど、もしそうだとしたら椿は知りたいの?」と聞きました。
椿『うん、知りたい』
母「なんで?」
椿『えー!だって遺書書かんといけんじゃん!』
母「そうなん?どうやって?」
椿『えーっと、ひとりずつノート買って…7人分?だから7冊かな?』
母「え?手紙じゃなくて?ノート?そんなに書くの?」
椿『うん。だって初めて会った時からのことずっと書くから』
母「え?最後まで全部使い切るの?」
椿『え…だって初めて会った時から書いたら結構書くじゃろ!?』
母「7人分でしょ!?手、疲れるよ?」
椿『大丈夫!頑張る!』
母「そっか…じゃあ早めに書きはじめないと書き終わらないね。椿が書く気になったらノート買いに行こうか。その時はまた教えて。」
という会話をしたことがあります。
その数ヶ月前から『なんか最近ちょっと歩いただけで息苦しいんじゃけど、なんなん』と言って、自分のからだの変化を感じていた椿。
言わずとも、もうわかっていたのでしょう。
自分の命の限りを感じて、わたしがいない時にこっそり準備をしたのでしょう。
14歳の女の子が、「死」とひとりで向き合い、残される母のために、最期の言葉を…
椿はいつもわたしがそうしてきたように、自分の言葉や手紙で「ありがとう、大好き、幸せだよ」と伝え続けてくれました。
そして、この手帳に散りばめられた椿の想い。
「幸せにしてやれなかった」と、わたしが悔やむことがないように『ママ、大丈夫。これで良かったんよ』そう包み込んでくれる椿の言葉の数々に、わたしは救われるばかりで感謝しかありません。
『いまの椿がいたから 今のママがいる。
いまのママがいたから 椿がいる。
そう思ってる』
この言葉通り、わたしたちは常に一心同体、運命共同体でした。
お互いが大切で、大切過ぎて見失うこともあるけれど、いつもどんな時も大事に想う心で繋がっていました。
椿が手帳の中で唯一吐いたホンネは『死にたくはなかった』でした。
ママも椿を死なせたくなかった。
もっと一緒に居たかった。
でも、叶わないこともある。
だから、せめて 椿の想い と わたしの想い をここに残します。
今を大切に生きてほしいから。
これまでの椿の人生を振り返ってみて、決して真っ直ぐな道ではなかったことを知ってもらえたと思います。
わたしは母親として不十分だったから「もっとああしとけば」「あの時こうしていれば」と後悔することもたくさんありました。
それでも、いつも椿と相談して一緒に決めて進んできた人生。
手を繋いで前を向いて進み続けてきました。
毎日「色々あったけど今日も幸せだったね」と、その一日の幸せを噛み締めて過ごしてきたつもりです。
立ち向かう課題が多すぎて周りが見えなくなっている時期がありました。
お互いがひとりで頑張っているつもりになっていた時期もありました。
いっそ、このままふたりで死のうかと思った日もありました。
でも、いつも誰かがわたしたちに優しく寄り添っていてくれたから、ここまで乗り越えて来れたのです。
わたしたちは決してふたりきりではありませんでした。
優しく見守る眼、傾けられる耳、かけられる言葉、差し伸べられる手…その全てが優しい希望の未来に繋がっていきました。
「人はひとりでは生きられない。
椿はひとりで生きているんじゃない。
みんなが椿を想って助けてくれるからこうして生きていられる。
だから椿もみんなに感謝の心を持って生きてほしい。」
と、椿にいつも話していました。
すれ違って素直になれない時期もあったけど、「大好きなママへ」の手紙を読んでくれた後、心が通じ合ってからは特に、椿の心が安らかになったのを感じました。
それからは最期まで、椿は感謝の言葉を忘れず、どんなにしんどくても必ず「ありがとう」と伝え続けてくれました。
わたしは椿の生き様からたくさんのことを学ばせてもらいました。
みなさんの心にも届いてくれていれば幸いです。
椿の『人生をかけた授業』で学んだことを心において、椿に誇れる様に前を向いて生きてみせるよ。
ママの子どもでいてくれて本当にありがとう。
椿、大好きだよ。愛してる。ずっと。
未来の希望に繋がって 明るい光が指すことを願って
今日もどこかで闘っているあなたへ このエールが届きますように…
“ひとりじゃないよ”
あなたの生きる今日は素晴らしい
あなたの笑顔が見たいから 手を繋いで 共に生きよう
椿と共に未来へ
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
わたしが椿の想いをのせて綴ることができたら…と書きはじめた冊子でしたが、やはりそれはできませんでした。
わたしは椿ではないので。
椿がその時々でどんなきもちだったのか…知りたくても知ることはできません。
でも、それでいいのです。
これはあくまでも、椿と共に過ごした時間の中でわたしが母親として、ひとりの人として感じたお話です。
みなさんもひとりの親として、子供として、人として…感じてみてください。
これより先のわたしの時間は、Instagramに少しづつ綴っています。
少しずつ前に進んでいるようで、時には止まりながら、今を生きています。
Instagram▷@mi.harukaze
その他記事など▷https://lit.link/harukazelink
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4-3 椿と共に未来へ