第2章2-5 ③フォンタン手術後の生活
2歳4ヶ月でフォンタン手術、2歳5ヶ月でペースメーカー埋め込み手術をした椿。
フォンタン手術後の生活は順調で、マイペースに成長し椿らしく過ごしました。
3歳から小学4年生まではみんなと同じように過ごせる時間も多くなりました。
フォンタン手術後の生活
フォンタン手術を受けた後は比較的元気に過ごせていました。
術前は80%台だった酸素飽和度も術後は90%台まで回復し、チアノーゼも良くなりました。
頻拍(ひんぱく)になることもなくなりました。
術後観察のため岡山大学病院の外来に、術後1ヶ月後、半年後、1年後の外来通院がありました。
それとは別に月に1回、倉敷中央病院に外来通院がありました。
お薬は倉敷中央病院で処方してもらっていました。
毎日3回のお薬もがんばって飲みました。
在宅酸素は継続するように指示されていましたが、このころから本人が自己主張できるようになり、
酸素のチューブを鼻に入れることを嫌がるようになりました。
鼻に入る部分を鼻の穴に入らないように切って対応したりしましたが、
そもそも鼻付近にチューブがあることや風が出ていることが不快なようでした。
さらに、チューブを固定するためにほっぺたに貼っていたテープのかぶれがひどくなり、
酸素吸入自体をものすごく嫌がるようになりました。
そのためほとんど酸素療法はできませんでした。
寝ているときにこっそり首を持ち上げて頭を通して、鼻までチューブを持っていくのですが、
いつもすぐにバレてしまい手で酸素が出てくる部分を握りしめて、結局外してしまう始末。
椿に酸素が必要な理由を説明してお願いしても「やだ!」と断固拒否を続けました。
主治医と相談して「できるときにする」と約束をしました。
集団生活デビューは幼稚園
フォンタン手術までは大事をとって外出はなるべく控えていましたが、
フォンタン手術後は少しずつ外出の時間も増やしていきました。
毎日、母の運転する自転車に乗ってお出かけするのがお気に入りで、
公園でのんびり遊んだり、スーパーで買い物したり、「親子で過ごす日常」を知っていきました。
週末になるとおじいちゃんがドライブへ連れて行ってくれて、公園でお散歩したり、
おいしいものを一緒に食べたりしました。
とくに温泉が大好きでした。
そうやって、いろんなところへ楽しくお出かけすることで、少しずつ体力もついていきました。
2011年の4月からは岡山市立の幼稚園に通えるようになりました。
事前に園長先生に病気のことを相談して、個別面談をお願いしました。
本人の様子を観察してもらった上で入園してもいいか承諾を得るようにしたところ、快く入園を許可してくださいました。
それまで、病院の医療従事者か家族としか過ごしてこなかった椿にとって初めての集団生活に、
母のほうがドキドキして落ち着きませんでした。
当の本人は堂々としたものでした。
園で一番小さな椿はそんなことは気にせず、椿らしく元気ハツラツ、負けん気強く、マイペースに幼稚園ライフを楽しんでいました。
心臓病が原因の入院はほとんどなくなりましたが、子どもの病気の感染率は高く、風邪のような症状で体調を崩すこともありました。
無碑症候群(むひしょうこうぐん)のため感染症にかかると重症化しやすく、
自分の力だけでバイキンを退治することは難しく、敗血症(生命を脅かす感染症)になり入院することもありましたが、
1~2週間ほどで退院することができていました。
その他に、体温調節が難しく、冬は凍えないように厚着をし、
夏はのぼせないように保冷剤や冷えピタを使って体温調節をしていました。
運動制限などは特にありませんでしたが、本人が自分で調整してやすみやすみ、できる範囲で行動していました。
生活のなかで注意することは次のようなことでした。
・プールなどで息止めを10秒以上しないこと。
・ペースメーカーが入っているので腹部を圧迫するようなことはしないこと(鉄棒は禁止)。
・ペースメーカーが誤作動を起こすので磁石を腹部に近づけないよう注意すること。
・ペースメーカーが誤作動を起こすので携帯電話、ゲームなど電波があるものは20センチ以上腹部に近づけないよう注意すること。
※誤作動を起こした場合本人も気持ち悪くなるなどの症状がでます。気持ち悪くなったときの対処は、横になり休憩する程度です。
・ワーファリン(血をサラサラにするお薬)を飲んでいるので出血があった場合止まりにくいため、出血、打撲などに注意すること。
・ワーファリンの作用に影響するので納豆、青汁は飲食しないこと。
以上のことに気をつけていれば、水分制限も食事制限もなく、走ったり遊具で遊んだり子どもらしく過ごせるようになりました。
小学校も普通級に入学
2013年には椿が通っていた幼稚園に隣接している小学校の普通級に入学できました。
小さな身体で大きなランドセルをせおい、みんなと一緒に歩いて学校へ通いました。幼稚園からの引継ぎもあり、学校の先生方や生徒達の理解と支援を受けながら楽しく通えていました。
このころの椿の苦痛をあげるとすれば、納豆が食べられないことでした。
実は、手術前に血液の流れを調整するために、病院の先生から納豆を食べるように言われたのがキッカケで、産まれて初めて納豆を食べて納豆のとりこになってしまったのです。
自宅では食卓に納豆があがることはありませんでしたが、大好きなお寿司屋さんで納豆巻きが回ってくるたびに舌なめずりをして、ぐっと我慢して通り過ぎる納豆を見つめていました。
手術前のワーファリンを飲んでいないときだけは納豆を食べていいと先生に言ってもらえたので、ここぞとばかりに納豆を楽しんでいました。
このあと、小学2年生の3学期くらいから小学校での椿の様子が変わっていきます。
心の変化と体調の変化が少しずつ現れていきました。
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③フォンタン手術後の生活
2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
2-9 ①発達障害とは?
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2-11 ①最期の14日間-1