第3章3-5⑨教育との関わり
『なんとなくいい感じ』で終わったカンファレンス
中学校生活を送るなかでだんだんと椿のできないことが明確になってきた中学1年生の冬ごろ。
病気のせいにしてサボっているような言動も見受けられるようになりました。
それまで病気のこともふくめて上手く立ち回って寄り添っていてくれた先生方も、研修での椿の態度のこともあり、『病気のせいにしてサボっているような態度』に、思春期の生徒と向き合う対応と同じように厳しく指導するようになっていきました。
『病気のせいにしてサボっているような態度』は家庭内でもそういうところが出ていたので、こちらとしても思春期や反抗期特有のそれなのかと思うところもありました。
1年生の終わりごろには「椿の不自由さと先生とのコミュニケーション問題」が浮き彫りになってきてわたしも「もしかして…」と発達障害を疑うようになっていました。
解決しようと、何度か主治医や看護師に相談していましたが上手く伝わらず、「つばちゃんは心臓病と闘っているからね…」と、心臓病に隠れてしまいました。
そのかわり、学校と上手くいっていないことに関して、椿がいい環境で過ごせるようにと病院側から持ちかけてくれて、1年生の終わりに2年生に向けて学校と病院と家族で情報共有を目的としたカンファレンスを行ってくれることになりました。
このカンファレンスでは当たり障りのない上辺だけの情報交換のみで、滞りなく終わりました。
本当はもっと踏み込んで、椿と過ごしてみて学校側が苦労していることを吐き出してもらって、それに対して医療的目線での解決を望めるのであれば、学校側の負担も減って、いい環境を用意できるのではないか、医療的観点からのみならず意見を出し合うことで改善に向かうのではないかと期待していました。
でも『なんとなくいい感じ』で終わってしまったカンファレンス。
このとき、もっと訴えていれば環境の変化を期待できたのかもしれません。
まだ認識されないままの発達障害は二次障害へ
モヤモヤしながらも、みんなが気持ちを切り替え迎えた中学2年生。
1年のときの厳しかった担任ではなく、新任の優しい男の先生に変わったことで椿の状態も良くなり、新学期は心機一転、楽しく少し椿らしく過ごせる日も増えました。
学年主任にも「1年生のときには見られなかったいい部分が増えました。委員の仕事(黒板消し・机拭き・配布物など)も自分から進んで取り組めるようになったし、生徒の名前を積極的に覚えるようになってきました。」と、褒めてもらえいい雰囲気でした。
でも、コロナの影響で休校になり自宅で過ごす時間が増えると、椿のなかで学校への意欲が失われていきました。
同時に発達障害の特性が悪く進みはじめ、そのせいで病気の進行も進み、からだもしんどくなっていき、思考も正常ではなかったのだと思います。
このとき、家庭内で繰り返されるようになっていた水分の過剰摂取、塩分の過剰摂取の歯止めが効かなくなってきて、それまでは学校ではしなかったようなことをするようになっていきました。
学校に塩を隠し持って行き、保健室で休んでいるときに食べているところを先生に見つかり怒られたり、トイレの水道から水筒に水分を補充しているところを注意されたりするようになっていきました。
学校でも家でも怒られるようなことばかりで、からだもしんどいばかりで、楽しいことが見つからず椿が自暴自棄になっていたころには、発達障害をこじらせて二次障害に進行していきました。
「できない」のではなく「したくないからいいわけをしてやらない」のではないかと取れる、反抗的な言動が目立つようになっていきました。
そのため、何度か椿が先生と宿題の提出、体育祭の練習の時の言動、水分摂取問題などで衝突する案件が起きました。
わたしもこのころは、椿とコミュニケーションが取りづらくなっていて助けを求めていました。
だから、起きる問題にその都度椿と真剣に向き合って、真剣に怒ってくれている先生方に対して感謝しているくらい、疲弊していました。
でも、こうして何度も衝突を繰り返したことで、結果的に椿と先生方との関係性をさらにこじらせてしまうカタチとなりました。
学校側からすると病気が引き起こす問題、『水分管理』から起こる問題、『学校に持ってきてはいけないものを持ってくる・隠す・嘘を付く』など、学習に関係のない問題が増えていってしまったことでより扱いにくい生徒になっていったのでしょう。
発達障害発覚と学校選択再び
椿と先生の関係がうまくいかなくなっていた要因である、発達障害の診断が確定した2021年9月。
椿が発達障害の診断がついたとき、わたしを含めた周囲のひとが「最近コミュニケーションが取りづらくなってきたのは発達障害の症状が色濃く出てきたからか!」と納得し、救われた気持ちになりました。
先生方もそう感じて寄り添ってくれるはずだと信じて疑わなかったわたしは、学校にも報告してうまく付き合えるように掛け合おうとすぐに報告しました。
それまで、問題が起きたとしても椿と真剣に向き合って叱ってくれたり、わたしにもしっかり説明してくれていたり、丁寧な関わりをしてくれている・学校とはまだ良好な関係を築けていると想っていました。
でも、わたしのこの考えは甘かったのです。
世間でいう『発達障害の壁』を感じる出来事に大きく発展していくことになりました。
まずは、最近よく椿のお世話をしてくださっていた養護の先生に報告しました。
先日も、体育祭の練習のときに養護の先生と椿が意思の疎通ができておらず、かなり怒らせてばかりだったこともあり、理解を示してくれました。
1年生の3学期ごろから発達障害を疑っていたことも話すと「お母さん、ひとりで抱え込まずに早く言ってくれれば良かったのに…」と親身に話を聞いてくれ、「来年は支援級に入った方がいいんじゃない?」と、養護の先生から提案してくださいました。
支援級という居場所の提案に、このときのわたしは期待しました。
このとき、9月の終わりの頃でした。
この地域では10月頃までに来年度の進級先の申請を出すように決まっているらしく、期日が迫っていたようで、椿にはもう迷っている時間がないことが判明しました。
さっそく養護の先生から学年主任に報告し、特別支援教育コーディネーターの先生と翌週に面談して支援級の説明を受ける運びになりました。
支援級に関しての知識が浅かったわたしは、「支援級に入ればこれまで積み重なってこじれてしまったことも解消されて、椿の『困り事』が解決して学校に楽しく通える環境が整うだろう」と思っていました。
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2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
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2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1
3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
⑨教育との関わり
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