第3章3-5⑦教育との関わり
問題発生
実際に、中学校生活を送ってみると椿のなかで「しんどさ」が大きくなっていきました。
体調と心のしんどさが同時に進行していったように思います。
家族内で何度も話し合い普通学校にこだわった理由のひとつとして、わたしが母親として椿に『年相応に学校生活を楽しんでほしい』という思いがありました。
もし、早島支援学校を選んだ場合、設備や環境が整っていたとしても、同級生がいないという点が一番の問題でした。
元気に過ごせる日もあるし、寄り添ってもらえば普通学校でも大丈夫だと主治医にも言われているのだから、同級生の輪に入って、そこでしか経験・体験できないことをしてほしいと思っていました。
この考えは椿も一緒でした。
けれど、現実はそんなに甘くはありませんでした。
普通学校に通うということは『年相応にいろんなことができて当たり前のレベルであること』が求められるからです。
椿の場合、長期入院が続いたこともあり、いくつか難しいことがある(勉強や身の回りの準備、いろんなことで時間をみんなと合わせることなど)ということを事前に教頭先生に伝えた上での入学でしたが、実際通って中学校生活を送ってみると、みんなと同じように『できる』と思っていたことが椿には難しかったのだということと、普通学校での『寄り添いには限界がある』ということがわかりました。
小学校と中学校では、子どもの成長とともに生徒への関わり方に大きく違いが出てくるのだということを、このときのわたしたちは全く理解していませんでした。
問題点①準備
はじめのころは自分でがんばってできていた学校の準備は、だんだんとおそろかになっていきました。
小学生のころはわたしが確認しながら椿と一緒に準備することも多かったのですが、中学生になったこともあり、自立を重視してわたしからは口出しや手助けはしないことを椿と約束していました。
もし、忘れ物があった場合、自分が用意し忘れたことを自覚して、反省して、次回から忘れずに持っていけるようになることが理想的だと思っていました。
何度も忘れるようなことがあった場合は、担任からわたしにも教えてもらうようにしていましたが、こちらから声掛けをしても面倒くさがって用意しなかったり、重いから持って行きたくなくて「必要ない」と嘘をついてわざと持って行かなかったりすることもありました。
持って行くのがめんどくさくて「今日は体育ないから」と嘘をつき体操服をわざと持っていかなかったことで体育の担任からきつく叱られたこともあったようです。
問題点②整理整頓
整理整頓については、小学生の頃からの課題でした。
何度注意しても、引き出しの中にプリントをためこんで家に持って帰らないことが多くありました。
そのため、本人にはもちろん、担任にもなるべく椿に『声かけ』してもらって、プリントをためこまないようにしてほしいとお願いしていたのですが、担任からの『声かけ』という協力はなかなか得られませんでした。
急な入院で荷物を取りに行かなければならないときや懇談のときなど、わたしが学校へ行く用事があるときに担任が見守っている前で、引き出しとロッカーを毎回確認し、プリントや大事な提出物がまとめて出てくることが日常でした。
ほかにも、筆記用具なども失くすことが多く、忘れたころに意外なところから出てくることが多くありました。
また、制服、体操服など決まった服装に着替えることが苦手で、着替えるのにすごく時間がかかります。
着用の仕方もかなり適当で、ボタンを掛け違えたままにしたり、スカートのチャックはいつも開いたままだったり、制服のリボンを付けなかったり…注意しても「もー!めんどくさい!これでいいの!」と怒ってそのまま登校していました。
問題点③勉強
中学生で求められる勉強のレベルについてはもう論外なレベルでした。
入学前に教頭先生に「闘病生活で今までじゅうぶんに勉強ができていないので、中学生のレベルにはついていけないと思います。」と話していました。
小学4年生のころからまともに学校に通えていなかったので仕方のないことだと思っていましたし、親としては勉強はできなくてもいいと思っていました。
でも、中学校側としては違ったようです。
一応事前にそういう話はしていましたが、具体的な対応までは話し合っていませんでした。
それよりも日常的な困りごとが優先されていたこともあり、本人が困っていることに対しての対応などはできておらず、椿は、中学1年生の普通授業のレベルを強いられることになりました。
授業内容は理解できなくても『授業中にそこに座り、教科書を開いて、先生の話を聞き、ノートに記入する』という事ができれば充分だと思っていましたが、椿にはそれが難しいことだったのです。
宿題も量が多かったこともあり、しなくなっていきました。
家でも毎日宿題をするように声かけはしていましたが、1教科をするので手一杯な様子でした。
そもそも授業内容が理解できていなかったので、ワークを進めることがとても困難でした。
「わからないところは先生に聞く」ということすら面倒に思っていたようで、居残りできる日があっても先生に聞きに行きたくないので、自主学習の時間は「今日は訪問診療の先生がくるから早く帰らないといけません」と、担任の先生に嘘をついて参加しないようにしていたようです。
定期的にやってくるテスト期間に求められる提出物の多く、少しでも埋めるように自宅でも指導していましたが、やはり理解できていないのにワークをすることはとても困難で、定期テストや期末テストの点数は20点台が多かったです。
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