第3章3-5⑥教育との関わり
地域の普通学校
そして3つ目の地域の中学校。
当時住んでいた病院の近くの地域の学校と、再婚した場合に住むことになる地域の学校の2校とも見学に行きました。
家族の考えとしては、椿がどちらを選んでも対応できるように考えていました。
椿は「できれば今の小学校の友達と一緒の学校に行きたい」と、言っていたのですが、その地域の中学校に実際見学に行ってみると、学校の作りと仕組みが椿にはしんどいものだと判りました。
校舎が傾斜に斜めに建てられているため、階段での移動が多いということ、大学のように各授業ごとに生徒が教科担任のいる教室へ移動する方式でした。
できるだけ移動を最小限にしたい椿にとっては大問題でした。
そして、もうひとつの再婚先の地域の学校は、築6年ほどの真新しい校舎でエレベーターが完備されていました。
小中一体型校舎で小中一貫教育に取り組んでいる学校でした。
小規模校で、来年度の新中学1年生の生徒数が21人×2クラスで、目が行き届きやすい印象を受けました。
きれいな校舎と穏やかな雰囲気を感じました。
椿の中で一番の決め手はエレベーターがあるということで、見学に行った日に迷わず「ここに通いたい!」と決めました。
椿の意思を尊重して決めた進学する中学校。
わたしは自信を持って岡山市の市教委に相談に行きました。
倉敷市の市教委からは早島支援学校を勧められたけれど、いろんな事情がありながらもこの学校に通いたいという意向を伝えにいき、市教委もいっしょに来ていた椿にも聞き取りをし、椿の意思を尊重してくれました。
窓口になっていた教頭先生にも、病気などの事情を説明し理解していただき、この中学校へ通うことを決めました。
岡山市の教育委員会へも直接お伺いし、椿と二人で事情を話し「地域の学校に通いたい」という思いを伝えると応援してくださいました。
学校が決まったことで再婚、引っ越しが確定しました。
予後が悪いと言っても、必ずしも何年後には死ぬ病気だと言われたわけではありませんでしたし、本人も家族も関わってくれる医療従事者の方々も希望を持って病気と闘っていました。
いろんな希望を胸に持って、椿自身が自分でこの中学校を選んだのです。
病気でも自立できる環境とは?
そもそもこんなにしんどい思いをしているのに、学校に行く必要があるの?と思う人もいると思います。
たとえ病気でたくさんがんばっていたとしても、椿も中学1年生になる12歳の女の子です。
病気があってもなくても、みんな等しく教育を受けることができます。
椿が院内学級に通って得た心の栄養は「生きるエネルギー」だと感じました。
学校は等身大の同級生と共に過ごしながら「目標」や「希望」を持って、ときに悩みながらもいろんなことを共有して一緒に成長しながらたくさんのことを学べる大切な居場所だと思います。
それに、子どもが教育から離れるということは、さまざまなことに影響してくると、わたしは椿と生活しているなかで思うところがありました。
一概には言えませんが、社会から離れるということは、自立を遅らせることに多少影響するのではないかと感じました。
自立するためにも、1日のなかの少しの時間でも親元を離れ、学校社会へ飛び出して、いろんなひとと関わりながらコミュニケーションを図り、人間関係を築き、学んでいくことできる大切な時間(チャンス)だと思います。
椿の場合、入院生活も多く学校に通う機会が少なかったこともあり、ひととの関りも人任せにし、自分でこなしていかなければならない問題から逃げるような姿勢を取ることが多くありました。
病気のことで、入院、自宅休養になり突然学校に行けなくなってしまうことで、学校で学べるはずの「継続すること・挑戦すること」が中途半端になってしまうことが多くありました。
そのためなかなか成功体験に結びつかないことが多くありました。
反対にあきらめたり「どうせ」という言葉が出たりするようになってしまったのは、リセットされてしまった経験が多かったせいで、自信が失われてしまっていたのでしょう。
学校の先生の大半は「無理しなくていいからね」と椿に優しく声かけをしてくださいました。
それはとてもありがたいことなのですが、意欲的ではない子どもからしたら「無理しなくていいからね」=「しなくていい」になります。
そうするとサボることを自然と覚えてしまうのです。
「椿ちゃんは病気でがんばっているから」と、まわりの子と違う対応をされることに椿自身の理解と認識がだんだん歪んでいきました。
「病気だからしなくていい」=「楽しても許される」という考えになって、自分のことも他人事のように人任せにしていたように見受けられます。
こういった問題は個人差があるものなので、椿を見て感じた見解ですが…。
そういった経緯もあり、母親であるわたしは椿の将来を心配して自立心や自尊心を育てたいと思うようになり、中学生になったら「できなくても挑戦する」ということを、椿に望むようになりました。
【関連記事】
2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1
3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
⑥教育との関わり
続きはこちらから