第3章3-5⑯教育との関わり
学校とお別れ
葬儀の1週間後に学年主任に会った時、「わたしの勝手な思いですが、来年の卒業式、椿さんも一緒に…」と学年主任に言っていただいて素直にとてもうれしく思いました。
だけど、椿が生きていたら来年は早島支援学校の生徒になる予定で、ここに居場所はなかったはずです。
このまま学校を去ってしまうのではなく、椿の闘病について、椿がこの学校を自分で選んできた経緯について知ってもらってからお別れしようと想いました。
後日、時間をもらい、旦那さんと学校へ出向きました。
「もう椿は3年生は早島支援学校に行く予定だったので2年生で卒業したことにしてほしい。その変わり椿の卒業制作としてこの冊子を生徒に配って欲しい。」と担任と学年主任へ話をしました。
今年度の節目に間に合うようにと、四十九日までに作成した『椿の卒業制作の冊子』を、一番信頼している学年主任の先生と、椿が大好きだった担任の先生に託しました。
わたしのわがままを聞いてカラーで印刷したものを、終業式の前に先生方と生徒たちに配って共有してくださったそうです。
学年主任が少し読みあげてくれた部分もあったそうです。
生徒たちにも、先生たちにも椿を通して知ってほしいことがたくさんありました。
どうか、この想いが少しでも届くようにと祈りを込めて。
すれ違う日もありましたが、真剣に向き合い寄り添ってくれた先生方にはとても感謝しています。
難病児と学校
院内学級のときに出会った椿と同い年の男の子は、特別な装置がないと生活ができなくていつもお母さんが付きっきりでした。
その子が使用していた装置の操作は医療行為になるから早島支援学校にも通えないと話してくれました。
でも、小学生のときから小学校と病院側と、その子の過ごす環境を整えられるように何度も話し合いを重ねて来たそうです。
そして中学校進学のとき、教育委員会に「病弱児学級を作りたい」と、お願いしたそうです。
でも、叶いませんでした。
規則があるからだそうです。
特別教室を学校に設置するには、まず病弱児の生徒が3名以上必要だと言われたそうです。
病弱児だから体調が優れなかったり通院、入院で学校に来られない日もあります。
その子が休みのときは先生がフリーになります。
それは仕方のないことだから他で補助をするなど考えてほしいけど、そこまでの予算は出せないそうです。
結局、その子は病弱児学級の設置は叶わなかったけど、念入りなカンファレンスの甲斐もあり、地域の普通学校で特別待遇してもらえているそうです。
その子のためにエレベーターを設置したり、いつでも休めるように別室でオンライン授業を受けられたり、お母さんの付き添いも必要なくなったと聞きました。
病児と携わる方々の理解と協力の賜物だと思います。
病弱児の子どもたちは、教室でみんなと一緒に授業を受けるのはしんどい時もあります。
その子のペースで授業を受けながら、一緒に受けられる授業や行事、休み時間などに自由に同級生とたわむれる時間を過ごせるのが理想的だと考えます。
そんな環境作りをもっと簡単にできるようになってほしいと願います。
学校とのあいだに望むこと
もし、わたしたち家族がずっと同じ地域にとどまっていたとしたら…違うかたちで寄り添ってもらえることもあったのかもしれないと、思うこともありました。
でも、そうじゃなくて、どこにいたとしても同等の支援を受けることができる環境を整えられることが理想的ではないでしょうか。
これからの教育のあり方が、少しづつでも変わっていくことを祈って、わたしと椿の学校生活を赤裸々につづらせてもらいました。
みなさんは、どう感じましたか?
わたしの母親としての至らない点は、本当に数えきれないくらいたくさんありました。
知識がなかったこと。
何を第一に考えて動けば良かったのか。
椿が本当に望んだことは何だったのか。
いろいろと先回りして考えることができていたなら…もっと違う結果になったのかもしれません。
たくさんの後悔があります。
だからこそ、椿とわたしが辿った道と同じように苦しむ人がいなくなってほしい。
そのためにも、ひとりでも多くの人にこういう状況もあるのだということを知ってほしいと思ったのです。
難病を抱えながら、学校に通うということの大変さや、
難病を抱えながらでも、同級生と過ごす楽しさを望んでいるということを。
どうか、みんなで考えてほしいのです。
子どもが我慢したり、苦しんだり、辛い気持ちにならなくていいように。
お母さんがひとりで背負わなくていいように。
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3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
⑯教育との関わり
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