第3章3-5⑬教育との関わり
学校との話し合い02 2020/10/20
後日、「支援級のくわしい説明を受けていないので、改めて本人も一緒に見学をさせていただきたい」と学校側へお願いし、学年主任の案内で校内の院内学級の見学と説明を受けました。
はじめて支援級の教室に案内され、支援級の生徒が授業を受ける様子や、休み時間などの見学をしながら学年主任から話がありました。
「朝礼など個人での役割をこなします。個別で授業を受けられるわけではなく、同じ学年ごとに同じ内容で進めていきます。今はひと学年(2年生2名)のみで静かに受けれていますが、来年度の1年生数名の受け入れがすでに決まっていて、多動の子が多いと聞いていますので、落ち着いて授業を受けられないことも想定されますし、急に動いてぶつかったり危険な目に合うことがあるかもしれません。
休み時間になると教員はいなくなります。次の授業の時間割を自分でして移動時間も自分で考えて行動します。今在籍する生徒は各自でしています。一人で鍵を締めて管理できますか?」と、説明を受けました。
このとき、支援級に在籍していた椿と同級生の男の子2人は、お見受けしたところ大人しく、寡黙(かもく)に作業をこなせるタイプの生徒さんでした。
椿は不注意の特性から、時間の把握(はあく)が難しく、予定を立て考えるのも難しいタイプでした。
そのため、説明があった「次の予定を自分で確認して自分で鍵を締めて教室移動をする事」は難しいかもしれません。
ここに来たとしても椿にはできない、ここにも居場所はないと言われているようでした
『何のための支援級のですか?』と問いたくなるような環境に疑問を抱きました。
それに、今在籍していて困っている生徒よりも、来年度入ってくる新入生を優先的に考えていることにも不信感を抱きました。
でも、冷静に考えれば先生の言われていたことも理解できました。
実際に学習しているときは、人数が少ない分先生が丁寧に関わってくれている様子も見られました。
でも、来年度入ってくる生徒の多動症の子たちの具合によっては環境がガラッと変わってしまうでしょう。
説明している先生の話からも、来年度入ってくる生徒の多動症の子たちに対して警戒している様子が伺えました。
「その環境で過ごすのなら、今まで通り普通級にいるほうが安全です。でも発達障害に対する細かい対応はしかねます。」という話もされました。
どうするべきか、悩みました。
このまま普通級にいたとしても受け入れ体制ではない現状では、これ以上先生方の配慮は受けられない。
支援級に行っても危険があるかもしれないし、寄り添ってもらえる環境ではないかもしれない。
でも、早島支援学校に行ったとしても、同級生はいない。
同級生どころか、中学生もいない。
家に帰り椿の意見を聞くと「支援級に通いたい。そうすれば今の学校のみんなとも会えるでしょ?」と言いました。
親の意見、先生の意見、医療者の意見…いろいろあります。
でも何よりも本人の意見が大切だと判断し、翌日の朝「支援級を希望します」と担任に伝えました。
そして、その翌日に学年主任から連絡があり「10/26(月)に校内審査をかけます。結果報告のため放課後に学校へ来てください」と言われました。
学校との話し合い03 2020/10/26
この日も3対1でした。
教頭先生、学年主任、担任とわたしで向かい合って座りました。
教頭先生から校内審査会の結果の報告を受けました。
「学校としての結論からお話します。全職員一致で椿さんは早島支援学校に行った方が良いという結論に至りました。」からはじまりました。
「支援級希望については来年度の新児童の多動が激しい子が計5名いて、危険が及ぶと考えられるので辞めるべきかと。このままうちの学校に通う選択肢を取るのであれば、普通級を強くおすすめします。周りの助けもあるし、支援級に比べて教員が多いので危険にも目が行き届くためです。
本人の体調面を考えるのであれば支援学校へ行かれるのがいいかと思います。
市の教育委員の方とも話し合いました。基本的に支援級へ希望される児童については2年単位で考えるそうです。なので今回のことは異例であると言っておりました。1ヶ月ほど前に突如として発達であると発覚したことについて、市の方では今までそのような報告はなかったため異例であると。
そういった面でも把握し兼ねるので支援級は難しいです。来年度、どうされるかお返事は遅くても次の水曜の登校された時までにお願いします。」
簡単にこんな内容でした。
これまでの流れから、ある程度こうなることはわかっていたので、辛かったけど心の準備はできていたので前よりも冷静に聞くことができました。
でも、正直、まっすぐ心を突き合わせるのがしんどくて、耳と目は聞いていたけど心はふせて、そこに座っていました。
1番気になったのは「発達障害が発覚したのが突然で異例だと、寝耳に水だと言う話だった」というところです。
女性のADHDは発見が遅れて7〜12歳で発覚することが多いと言われています。
椿はそれプラス心臓病のこともあり、病弱児特有の思考などで発見が遅れたという経緯もあります。
発達障害の発覚が遅かったから寝耳に水だと言われても、両親や本人だってびっくりしたことです。
近年では大人になってから発達障害が発覚する事例も増えてきています。
それに今後もそういう症例は出てこないとも限らないと思います。
椿だけじゃない。
支援級児の管理は2年単位で考えているという話もされていましたが、中学は3年間しかない中で椿はもう2年生です。
例外もあるのだということを受け入れて、前向きに検討してほしかったです。
ひとりの人間の人生がかかった選択です。
教育現場に対応力、応用力を強く求めたいと思いました。
学校と教育委員会の決め事として最優先されたのは「難病児が突然発達障害の診断がつき助けを求めている」ということよりも、「小学生の時から情報交換をしてきて把握している来年度入学予定の子どもたち」だったということ。
それは間違っていないと理解できます。
でも、だからといって『難病児+発達障害の娘を厄介払いするように支援学校を勧めてくるのは違うのではないでしょうか』と言いたい気持ちを飲み込んで帰宅し、もう一度家族会議をしました。
11/28(水)までに答えを出さないといけない。
あと2日しかない。
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2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1
3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
⑬教育との関わり
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