第3章3-5⑩教育との関わり
学校との話し合い01 2020/09/28
約束していた日に特別支援教育コーディネーターの先生と担任と学年主任が同席し、支援級の説明が行われる予定でした。
でも、実際は支援級の説明はひとつもありませんでした。
「まず、お母さんが椿さんを支援級に入れたいと思った理由と経緯をお伺いします。」というところから話がはじまりました。
「1年間中学校で過ごしていくなかで『できないこと』が明確になってきて、学校での困り事が増えてきた。たとえば、集団行動が疲れる・忘れ物が多い・勉強についていけない、など、他者とのコミュニケーションが難しくなってきたこと、家庭でも問題行動が増え、体調管理が難しくなってきたこと、学校に行っても勉強についていけず怒られるばかりで楽しさを見い出せず不登校になってしまった経緯から、病院に相談して発達診断を受けたこと。そこでADHDと診断がついたことで支援級に通えると聞いて話を伺ってみたいと思ったこと。」などを話しました。
このときわたしは、3対1での対面での話し合い・支援教育コーディネーターの威圧的とも取れる、目をじっと食い入るように見てくる態度に緊張していました。
わたしの話を一通り聞いた支援教育コーディネーターの口から、思いもよらない言葉が飛び出しました。
「ADHDの診断では支援級には入れません。」と。
椿が診断を受けたのはADHDとASDでしたが、このときの話し合いでわたしはADHDのことしか言わなかったのです。
発達障害に関して知識の浅かったわたしは発達障害の種類にADHDがあって、ADHDの中に細かく分類された先にASDというものがあるのだと思っていたので、確かにこのときわたしの口からは「ADHDと診断がついた」としか伝てませんでした。
(あとで知りましたが、実際に支援級に入れるのはASDの方が有効だったのです。)
「ADHDの診断では支援級には入れません。」と言った先生は間違っていなかったのですが、わたしとしては先日養護の先生から支援級を勧めてもらった経緯があっての今日だったので、キョトンとしてしまいました。
ここですでにすれ違いが起きていたのですが、学校側からしたら問題はそこではなかったようです。
その後の話は、支援級の説明ではなく「支援級に入ってもお母さんが望まれているような対応はできません。早島支援学校に行かれた方が、病気のことを優先的に考えられて椿さんの未来のためになると思います。まずは体調管理ができることが大事ではないでしょうか。」という話の一点張りでした。
このとき「わたしが望むような支援が受けられない」と、先生は言いましたが、わたしが望んでいる支援についての意見はひとつも話していない段階でそう言われてしまったことに憤り(いきどおり)を感じ、さらに、助けを求めたはずが全力で拒否されてしまったように受け取れて、やるせなくなってしまって…この後は涙がこぼれて話し合いになりませんでした。
合理的配慮って?
訪問診療の先生にこの日のやり取りについて相談すると「お母さん、合理的配慮って知っていますか?」と聞かれました。
つまり、本人が望むのであれば、学校側はそれに対して配慮することが規則として決まっているということです。
その具体的配慮については個人で差があるため、一概ではないですが、教育的配慮とは別に合理的配慮というものが適応されるべきだということです。
でも、この日の話合いでは学校側からそういった配慮はひとつもなかったと思います。
吐き出し向き合うきもち
そんななかでも、発達障害に対する家庭での向き合いは続きました。
日々、家庭で起こる問題を課題として捉え『ひとつずつ根本に隠れている問題を掘り起こして話し合って娘に合った方法を見つけて直していく作業』でした。
学校のことについても、不登校になっている原因を椿とよく話し合いました。
このころは、だいたい週に1日~3日は学校に行けていました。
学校をおやすみした日に、1冊の手帳に自分の考えを書き出して向き合ってもらうようにしました。
まずは、心の中に隠してある気持ちを吐き出してみて自分で自分の気持ちや行動に気がつくことができれば…と取り組んでいました。
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3-1 ①病気と共にある生活とは
3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
⑩教育との関わり
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