第3章3-5①教育との関わり
椿の人生において大きな問題のひとつだった「集団生活」
闘病と集団生活の両立については多くの課題があると思います。
椿の場合は特に住居を転々としたため、更に過酷なものになりました。
(入園、入学にあたりその都度、主治医に事前に相談しながら進路を決めました)
子どもにとって集団生活は社会への立派な第一歩です。
親元から離れ、ひとりではじめての場所で、はじめての生活がスタートします。
長子となれば、親もまた初めての経験。
「あたりまえ」に通る道だけど「みんな同じ」ではなく「それぞれ大変」なことがあり、乗り越えて子も親も自立していくものです。
どんな親子も周りの理解と助けがあるからこそ、互いに向上し成長することができ、社会がより良いものになっていくのではないかと考えます。
幼稚園のとき
椿の初めての集団生活は幼稚園からスタートしました。
4歳前に新居に移るため引っ越しをして、地域の小学校に隣接した2年保育の公立幼稚園(年少児34名×2クラス+年長児34名×2クラス規模)に通いました。
引っ越しまえ、園長先生に電話で入園希望の意思を伝え、事前に事情説明と面談する時間を設けて頂きました。
面談には椿もいっしょに連れていき、病気のざっくりとした説明と、最近の様子を伝えました。それと、入園にあたって「気をつけること」を伝えました。
話し終えて、本人の様子を見た園長先生は「元気そうですね!」と、こころよく受け入れてくださいました。
この頃は、日中は酸素吸入をしていませんでしたし(自宅には在宅酸素を用意していつでも使えるようにしていました)、急に体調を崩すようなこともありませんでした。
月に1度の外来通院、毎日3回の内服薬の服用はありましたが、病気だと言わなければ「ほっぺが真っ赤な鼻炎持ちの少し小さい子」くらいにしか見えませんでした。
「軽い風邪症状は近所の小児科で診てもらっても大丈夫」と、主治医に言われていたので、幼稚園の近くにある小児科にも事前に事情説明をしに行き、いつでも対応してもらえるようにお願いしていました。
年少さん(4歳)のはじめのころは慣らし保育でみんな短時間(2時間くらい)ですぐに帰ります。
徐々に園生活(母親と離れること、ともだちといっしょに過ごすこと)に慣れていき、夏休み明けくらいから、お弁当を食べるようになっていきます。
わたしは毎日付き添い、同じ部屋の少し離れたところから見守って過ごしました。
自宅から幼稚園までは歩ける距離でしたが、はじめのころは歩くと幼稚園に着くまでに疲れてしまうので自転車に乗せて通いました。
近所に仲良しのお友達もできて毎日いっしょに登園しました。
帰り道、友達と手をつないで歩くこともありました。
椿は幼稚園で一番小さく、体調不良でお休みすることがあっても、曲がったことが大嫌いな負けん気の強い子で、お人形遊びやおままごとのような女の子らしい遊びが好きなおしゃべりな女の子でした。
仲良しのお友達もたくさんできました。
この頃は公園も大好きでマイペースではありますが、いろんな遊具に挑戦したり走ったりもしていました。
お気に入りの遊具は、すべり台とブランコでした。
病気だから、しんどくなるからといって、引きこもるのではなく、ダメ!と禁止するのではなく、できる限り(椿の体調と具合をみながら)いろんなことに多感に挑戦していった時期でした。
保護者としての関わり
「どうせ毎日園にいるのなら」と、わたしは進んで学級委員を引き受けました。
学級委員の話し合いをしながら椿を近くに感じて過ごせるし、引っ越したばかりなこともあり地域の方とも早く馴染めるので、学級委員をして良かったと思いました。
だけど、椿は免疫力がないためお友達からバイ菌をもらいやすく、1年のうち半分登園、半分自宅休養、重症化してたまに入院という生活になっていきました。
わたしにとっては初めての育児。
幼少期の抗体の弱さや、子ども同士の距離が近く感染が起こりやすいことを知らなかったので、自分から進んで学級委員になったのに仕事は中途半端にしかこなせず、申し訳なく思うこともありました。
でもこの時、思い切ってやってみて、自分たちのことを知ってもらうキッカケにもなったし、協力してもらえる体制が整い、挑戦してよかったと思いました。
そう思わせてくれたのは園の先生や、保護者の理解や受け入れあってのお陰で、本当に感謝しています。
年長さん(5歳)になってからは抵抗力がついてきたようで、年少さんのときより元気に通える日が増えました。
わたしも付き添いなしで部屋に入らず、送り迎えだけでよくなりました。
保育補助の先生(みんなの先生)がいつも椿に寄り添って手助けをしてくれていたので、親子とも安心して通うことができました。
来年の小学校入園に向けて、幼稚園からの帰り道は毎日友達と歩いて帰りました。
帰宅後も毎日誰かと遊ぶ約束をしてお昼寝もせず、元気に過ごしました。
この頃は本当に子どもらしく生活していてパワフルに活動していました。
たまに体調を崩すこともありましたが、年少さんの頃とは違って熱は高めだったけど風邪が少し長引く程度でした。
運動会も発表会も休み休み練習に参加して、本番ではみんなと一緒にがんばることができました。
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3-2 ①闘病と家族の在り方
3-3 ①医療との関わり
3-5 ①教育との関わり
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