第2章2-2椿の病気発覚
妊娠中から誕生まで健康児と診断を受けて過ごしていた私たちに突然訪れた娘の命の危機!
「まさか…どうして…ごめんね…」
いろんな感情が一気に押し寄せたあの日。
どんな真実でも、願うのは娘の生存と幸せ。
生命の誕生と病気の発覚
お母さんのお腹の中に命が宿ったら、胎児(たいじ)として成長していきますよね。
椿は胎児(たいじ)のときに無脾症候群(むひしょうこうぐん)になり、心臓のつくりも、血管のつなぎかたも違っていました。
ですが、妊娠中の経過観察では問題は発見されず、現代ではあまり行われていない水中分娩で、
2006年10月7日に健康児として元気に産声を上げ誕生しました。
生後5日目には通常通りに帰宅し、普通に生活していました。
そして、生後8日目の夕方に突然その症状が現れたのです。
自分の子どもが心臓病だなんて思いもしなかった
妊娠中も出産後も前兆はなく健康児として出生した娘は生後8日目の夕方、自宅のベッドで寝転んでいたとき、突然呼吸困難になりました。
「ひゅーひゅー」と苦しそうな息づかいが聞こえてきて椿を見ると、顔が青紫色で舌が落ち込み呼吸ができず苦しんでいたのです。
私はパニックになりました。初めての子育てということもあり、この症状が何なのか判断できず、取り急ぎ出産先の助産院の先生に相談しました。
助産師に診せに行くと、そのまま急いで倉敷中央病院の救急に行くように指示を受けました。
「救急車を待ってると来るのに時間がかかって遅くなるかもしれんから、自分で行くほうが早いかもしれん!」と助産師に助言され、父親が運転する自家用車に乗り込み、私が椿を抱き、急いで病院へ向かいました。
倉敷中央病院まで車で30分かかる道のりは夕方で交通量の多い時間帯と重なり、とても長く感じました。
病院に着くまでの間、渋滞にイライラしながらも必死に車を進める父親のとなりで、舌が落ち込み呼吸が弱くなっていく椿に私は何もしてやれることがなく、ただ必死に「つばきー!」と呼びかけ「しんどいね。がんばろうね。病院にいってみてもらおうね。」と声をかけ続けました。
助産師が倉敷中央病院に連絡を入れてくれていたお陰で救急外来での対応は早く、処置室にひとり運ばれた椿を、
私たちは扉の外で祈りながら待つことしかできませんでした。
慌ただしく医師と看護師が出入りしている様子を真っ白になった頭で泣きながら見つめていました。
とても長い時間に感じました。
しばらくして部屋から出てきた先生から説明を受けましたが、ただごとではない雰囲気と先程の椿の苦しそうな様子が頭から離れず、
説明を聞いてもほとんど頭に入ってきませんでした。
覚えているのは「娘さんは心臓病でした。急いで手術しないと間に合いません。これから手術をしにすぐに救急車で岡山大学病院に向かいます。」と言われたこと。
震える手とこぼれ落ちる涙と、椿に対して「ごめん」という気持ちでいっぱいになりました。
私の口からやっと出た言葉は「なぜ娘が?私が妊娠中に何かいけないことをしたのでしょうか?」という質問でした。
それに対して「なぜ心臓病になるかは原因がはっきりしていません。お母さん、自分を責めちゃだめだよ。
これから椿ちゃんは頑張るから、一緒に応援してあげよう!」という先生の言葉はとても心強かったけど、
やっぱり自分を責めずにはいられませんでした。
「健康に産んでやれなくてごめん。しんどい思いをさせてごめん。替わってあげることもできなくてごめん。ごめん。ごめん…。」
まだ生後8日しか生きていない娘がこれから手術に挑むのです。あんなに小さい身体で。
これからもそれを背負って生きていかなくてはいけないのです。
いくら自分を責めたところで、私たちのもとに産まれてきてくれた椿が心臓の病気だという事実は変わらない。
不甲斐ない、未熟なパパとママだから、椿が自分を犠牲にして活を入れに来てくれたんだ、しっかりしなきゃ!と思いました。
親である私ができることは、これから彼女を全力でサポートすること。
1日を大切に、「産まれてきてよかった」と思ってもらえるように幸せにしてあげようと改めて心に誓いました。
生後8日目、椿 人生はじめての緊急手術
夜10時頃、岡山大学病院に着くと早々に手術の準備が始まり、同時に病気の説明、手術の説明、その後の流れなどの説明を受けました。
聞いたことのないいくつもの病名はひとつも聞き取れませんでした。
説明を受けた書類にサインをしなければ手術がはじめられず、父親が震える手で何枚もの書類にサインを済ませると、
椿はすぐに手術室へ運ばれていきました。「待ってるからね。」と手を握って送り出しました。
それから病院内の家族控室で椿の手術が終わるのを待ちました。
一睡もできずに過ごしました。
明方4時頃に手術が終わったと連絡があり、6時頃に面会が許されました。
小さな体にいくつもの管が付いたまま一生懸命に息をしている椿に8時間ぶりに会えました。
唯一触ることが許された頭を撫で「よくがんばったね」と声をかけてあげることしかできませんでした。
椿は胎児の時に無脾症候群になり、先天性心疾患を3つも抱えて産まれてきました。
椿が突然呼吸困難になった原因の総肺動脈還流異常症(そうはいどうみゃくかんりゅういじょうしょう)の手術は、本来繋がっているはずの場所とは別のところに繋がってしまっている大事な血管を、あるべきところに戻す手術でした。
手術は成功したけど回復は椿次第だと説明を受けました。
何をしてやることもできない現状に歯がゆさを感じながらも、椿を信じ、祈ることしかできませんでした。
翌日、医師から「しんどい時期を乗り越え回復傾向です。」と報告を受けました。
面会時間に椿に会いに行くと、まだ鎮静がかかり眠っている状態だったけど、
椿の手や頭がピクッと動くだけでも嬉しくて「生きている」ことを実感しました。
手術に立ち会ってくださった先生から「病院に連れて来るのがあと1時間遅かったら命はなかったでしょう」と言われました。
当時、小児心臓外科の名医と言われていた佐野教授が岡山大学病院にいてくれたこと、
住んでいたのが岡山県内であったこと、医療従事者が的確に判断し早急に対応してくれたこと、
椿が頑張ってくれたこと、その全ての条件がそろい無事手術を乗り越え、一命を取り留めることができたのです。
椿の生命力と数々の奇跡と医療従事者の方々に感謝しました。
【関連記事】
2-2 椿の病気発覚
2-8 ①発達障害発覚までの経緯-1
2-9 ①発達障害とは?
2-10 ①命のカウントダウン
2-11 ①最期の14日間-1